そうした点は、西行も同じです。出家して旅を続けながらも、歌の道を究めて行きました。芭蕉も坊主の格好で神社仏閣を参詣して回りながら、俗っぽい俳句の世界を同時に生きました。けれども「俗にして髪なし」と、−——せめて髪だけは剃っているよ、と強弁しています(笑)。その100年後を生きた良寛も、曹洞宗の僧侶でありながら、歌も俳句も書も漢詩もたしなみ、「沙門にもあらず、俗人にもあらず」と言っています。

 彼らのごとく、芸術と宗教など、どちらか一方でなく両方に軸足を置いて、複眼的に生きる柔軟な教養がひとりの「自立」の助けになったのではないでしょうか。

隠者の生活に通じる戦後の貧乏暮らしを
楽しむための3つの心構えとは?

 彼らのような隠遁者の生活では、はじめは貧乏暮らしに始まり、やがて自由なひとり暮らしへとそれをつなげていったようです。そうであるならば、私たちもかつて第2次世界大戦後に経験したはずの貧乏暮らしを改めて見直して、これからのひとり暮らしを楽しむためのヒントをみつけることができるように思えるのです。

 私は敗戦のとき、旧制中学2年でした。戦後に学生時代を送り、結婚してからの期間も含めて、ほとんど「貧乏暮らし」でした。ただし、貧乏ななかで自らの生活を工夫する楽しみもあった。決して暗さだけではありませんでした。当時、私が基本としていた3つの心構えがあります。

 第1に「出前精神」。どこへでも自分から出かけて行く。いまは便利な時代でなんでも家に宅配で届きますが、やはり仕事でも遊びでも自分から出て行かなくてはいけなかった。そうしなければ喜びも楽しみも手にすることができなかった。

 第2に、「手作り」。便利な商品はいくらでもありますが、少しぐらい足りなくても、自分の手足を使って作ればいい。そう思うのが当たりまえの時代だった。

 第3に「身銭を切る」こと。貧乏であっても、貧乏なりに身銭を切る、ということですね。他人に対するだけでなく、自分自身についても会社の経費や税金のサービスを当てにせず、たとえば安酒を自腹で飲んで元気になる……。

 この3つは、「ひとりで立つ」ためのポイントだと思っているのですが、現代においてはインターネットで薄く、緩く、他人とつながる際に大切な生き方にもなってくるかもしれません。

 「ひとりで立つ」というのは、いわゆる「個の自立」という考え方とよく似ていて、しかし違うところもある。この「ひとり」のあり方をどう活用するかというのが将来の重要な問題になるかもしれません。