今回は、再び第2次世界大戦欧州戦域で行われた軍事作戦・戦術上のイノベーションについて取り上げ、マネジメントの視点から見ていきたい。前回(連載第8回)はドイツ軍による電撃戦を取り上げたが、今回から前後2回に分けて、米軍と連合軍による水陸両用作戦を取り上げる。

日本軍を打ち破った「水陸両用作戦」

 ノルマンディー上陸戦で最大規模に結実した「水陸両用作戦」は機動戦の花である。

軍事技術・戦術におけるイノベーション【2】<br />水陸両用作戦〈前編〉Dデイの朝、車両・人員揚陸艇(LCVP)の扉が前に倒れて、オマハ海岸に上陸する第1歩兵師団第16連隊E中隊の兵士たち(1944年6月6日)
Photo by The U.S. National Archives and Records Administration

 水陸両用作戦とは、敵の陸地へ、海や川などの水域を越えて軍事力を輸送、展開して戦力投射(Power Projection)を行うもので、海上戦、上陸戦、陸戦、空中機動作戦、そして航空戦の戦術を採用した陸空海の複合的な統合作戦である。海空の各軍と海兵隊を統合する作戦となるため、通常は対立や反目のある各軍をどのように調整し統合するか、事前の綿密な計画と現場での臨機応変な対応が作戦成功のカギとなる。第二次世界大戦で確立したとされる。

 30年前の1985年に私は『失敗の本質』で、太平洋戦争(第2次世界大戦太平洋戦域)で日本軍はなぜ負けたのかを仲間とともに研究し、世に問うた。この際、ガダルカナル島で繰り広げられた戦闘で、旧帝国陸軍が対峙した相手が、米陸軍ではなく海兵隊と海兵隊に配置された米国空軍と米国海軍の統合組織であったことを知り、その独特な戦い方に強い関心を持った。

 ガダルカナルはオーストラリア北東に位置するソロモン諸島最大の島である。第1次世界大戦で連合国側だった日本は南進論を進め、1922年に南洋庁を設置し、ヴェルサイユ条約によって赤道以北の旧ドイツ領ニューギニアの地域を委任統治することとなった。その結果、米国の前進基地であるグアムとフィリピンに至る途中に日本が姿を見せることになったわけである。1942年、ガダルカナル島では飛行場が建設されていた。

 一方、アメリカでは、日本を仮想敵国とする「オレンジ計画(プラン)」を米海軍が策定しつつあった。第1次世界大戦終了後の1919年に非公式に始まり、いくつかのシナリオ案を経て徐々にその内容が詰められていき、最終的には、日本がミクロネシアに進攻することを想定し、ハワイを拠点に島々を占領して対抗するというシナリオへ集約された。そして、太平洋戦争はほぼそのシナリオ通りに戦われ、日本軍は完敗した。

 ガダルカナル島での日本軍の敗戦の原因は『失敗の本質』で解説している通りだが、そのかなめは、海兵隊であり海兵隊が実行した水陸両用作戦だった。ガダルカナル島の戦いの後から沖縄決戦まで、18回にわたって水陸両用作戦が行われた。そのような背景があるからか、今も、沖縄の在日米軍の主力は海兵隊である。

 他方、欧州戦域での水陸両用作戦は、仏領北アフリカへの上陸(トーチ作戦)からシチリア島、イタリア本土と3回の経験を積みながら、ノルマンディーでの上陸戦へと続いている。こちらは米英の連合軍を中心に陸海軍、そして空軍の支援を得て進められた。 

軍事技術・戦術におけるイノベーション【2】<br />水陸両用作戦〈前編〉

 図のように、欧州と太平洋の戦いが二正面同時に行われている。ノルマンディーへの上陸が1944年6月6日のこと。そして、日本の「絶対国防圏」として防衛ラインの最前線だったマリアナ諸島への上陸が同月15日であった。