ビンタされ続けて育った
小学校時代

書道家、紫舟氏インタビュー<br />鍵っ子だったから才能が伸びた長谷川敦弥(はせがわ・あつみ)
株式会社LITALICO代表取締役。名古屋大学理学部を休学し、焼肉店店長やITベンチャー企業のインターンを経て卒業、2009年より現職。障害のある方を対象とする就労支援センターや発達に課題のある子どもも安心して通える幼児教室・学習塾を全国展開する。
LITALICOhttp://litalico.co.jp/

長谷川 学校で好きな科目はありましたか。

紫舟 絵を描くことが好きでした。

長谷川 嫌いだった科目は。

紫舟 音楽です。先生に怒られてから、音楽には心を閉ざしました。

長谷川 何があったんですか。

紫舟 トラウマでもあり、小学校の一番の思い出にもなった出来事があります。当時、私はゆるやかな多動児みたいなところがあって、結構授業中に話をする子どもだったんです。ある音楽の授業のとき、何度か先生に注意されても気づかなかった時があって。そうしたら音楽の先生が私のところにツカツカ歩いてきて思いっきりビンタをしたんです。

 生まれて初めてのビンタだったので、本当にびっくりしてずっと泣いていました。授業が終わったら、クラスメイトが集まってきて、みんな私を励ましてくれたんです。「あの音楽の先生ひどいね」「担当の先生に言いつけてあげるね」などと言って。そんななかひとりだけ「授業中に話をしていたんだから殴られても仕方ないね」と言う子がいました。クラス全体が私に同情する雰囲気になっていたので、そんなことを言ったら全員から非難を浴びるかもしれない。それでも彼女だけは周りに流されず自分の意見を言ったんです。「この子すごいな」と思いました。「きちんと物事を見て自分の意見を持っている女性になろう」と思った大きなきっかけになりました。

長谷川 小学生のころから、流されない生き方をしたいと思っていたんですね。しかしその先生は今だったら問題になりそうですね。

紫舟 当時はまだそういうことが普通に行われていた時代でした。とにかく何かをするとすぐ叩かれて。下校前の「おわりの会」で先生の横に並ばされ、毎日何十人もまとめてビンタされました。

長谷川 「子どもは大人の言うことを聞くべきだ」というルールを守るよう、学校ではさまざまな圧力がかかりますよね。さすがに体罰は行き過ぎだと思いますが……。学校での友達関係はどうでしたか。学校でも一人が好きだったのですか。

紫舟 学校で一人でいることはなかったですね。下校時間ぎりぎりまで、クラスメイトとバスケットをしたり、ドッジボールをして遊んでいました。

自分の才能を見つけるため
たくさん習い事をしていた

長谷川 学生のころに、何か熱中したものはありましたか。

紫舟 ありませんでした。本当にたくさん稽古事をしていたんですが、熱中したことは一度もないです。書道や日本舞踊、ピアノ、バイオリン、剣道などいろいろやりましたが、一度も熱中することはありませんでした。だから、熱中できるものを持っている人がうらやましかったですね。

長谷川 何か熱中できるものを探していたと。

紫舟 そうです。子どもの頃は見つかりませんでしたが。

長谷川 稽古事は、自分からやりたいと言うのですか。

紫舟 書道と日本舞踊は祖母から習うように言われて始めたのですが、それ以外は私が両親に頼んで習わせてもらったんです。書道以外はどれも何年かやった後に辞めました。

長谷川 たくさん習い事をしようと思った理由はあるのですか。

紫舟 才能について思うことがあったんです。私は書道を幼稚園から続けていたので、年下の子の面倒を見ることがありました。あまり努力をせずにうまくなる子がいる一方で、誰よりも努力しているのになかなかうまくならない子もいて。「才能がある子っているんだな」と思って、自分にどんな才能があるのか試したかったんです。だからたくさん習い事をしようと思いました。いろいろ失敗しているから、当時才能と呼べるものは何もなかったのですが。