昨年末、コペンハーゲンで開催された『国連気候変動枠組み条約第15回締約会議(COP15)』は、政治的合意文書である「コペンハーゲン合意(コペンハーゲン・アコード)」を全会一致で採択できず、「合意に留意する」ということを容認するにとどまりました。

 交渉決裂、ゼロ回答を回避し、かろうじてギリギリの形にとどめることは出来ましたが、具体的な数値目標などが明示されなかったことから、その成果には、疑問の声も上がっているようです。

 しかし、この結果については、そこに至る過程も踏まえ、日本政府や企業、そしてわれわれ一人ひとりが、今後10年、さらにその先を考えるうえで大きな示唆を得るものであったと思うのです。新たな10年の始まりである2010年最初の連載では、まずこのことについて考えていきたいと思います。

利害を「最大公約数」で
調整するのは困難な時代に

 COP15でまず感じたことは、「環境問題の議論は、環境的側面だけから眺めていてはもはや議論にならない」ということです。

 国際社会には、環境問題の他にも途上国経済の発展、教育、エネルギーの利活用、安全保障、貧困などの問題が複雑に絡みあっています。それぞれの問題の優先度は、国ごとに異なることから、各国の利害を“最大公約数的”に調整することは、極めて困難な作業になっています。国内に目を転じても、少子高齢化や、雇用、経済再建に向けた取り組みなど問題が山積し、複雑に絡み合っていることは周知の事実です。

 COP15において、アメリカのオバマ大統領をはじめ先進国の首脳が、最後の最後までギリギリの政治的合意に向けた努力をしたのは、環境問題と国内外において複雑に絡み合うさまざまな社会問題との繋がりや関係性を理解していたからなのだと思います。

 いまや環境問題への対応は、それ自体を“目的化”するのではなく、複雑に絡み合うさまざまな社会問題と関連づけ、それらの問題を解きほぐすための“手段”のひとつとして捉える必要があるのではないでしょうか? つまり、環境問題という狭い枠組みの中だけで思考停止するのではなく、発想のフィールドを広げて、さまざまな社会問題と環境問題との繋がりをイメージし、具体的な行動に移すべきだと思うのです。そのヒントは、アーティスト的なクリエイティブ・シンキングの発想にあると思います。

 企業などで行なわれている一般的な会議においては、あらかじめ議題や全体的な流れなどを決めていることが多いと思います。そこで発言される内容は、前例が行動規範となり、常識かつ無難な領域にとどまるため、予定調和的なものに終わりがちなのではないでしょうか? 「落としどころ」という言葉もある通り、こうした会議では“最大公約数的”な結論になりがちです。

 一方、クリエイティブ・シンキングを用いた会議においては、テーマこそ事前に決められているものの、それぞれがアイデアを持ち寄り、そのアイデアを自由に交換し合うことで、参加者が自らの構想を熟成していく作業が展開されていきます。