初対面の異文化出身者と話していると、相手の意図が読めず戸惑う時がある。友情を求めているのか、ただ詮索好きなのか、こちらに興味がないのか――。それを推し量ってうまく応じるには、相手の文化を「桃」タイプか「ココナッツ」タイプかに例えて理解するとよい。


 私がフランスで初めてディナーパーティーに参加し、パリ在住のある夫婦と言葉をかわした時のことである。会話は順調に進んでいた。私がこう尋ねるまでは――「お2人の出会いのきっかけは?」。何の差し障りもない質問のつもりだったが、私の夫エリック(フランス人)がギョッとした顔で私を見た。帰宅して夫はこう説明してくれた。「フランスでは、初対面の人にあんな質問をしないんだよ。下着の色を尋ねるようなものだ」

 これは昔からよくある過ちだ。異文化圏に行って最初に気づくことの1つは、初対面の人に尋ねたり伝えたりしてもよい情報とそうでない情報について、ルールが異なるということである。異文化の土地でうまくやっていくには、そうしたルールを理解することが不可欠だ。自国で慣れ親しんだルールを安易に適用すれば、たちまち厄介なことになるだろう。

 新しい文化に備える効果的な方法の1つは、その文化が「桃」か「ココナッツ」のどちらなのかを考えることだ。これは、異文化間コミュニケーションの専門家フォンス・トロンペナールスとチャールズ・ハムデン-ターナーが提唱した区分である。

 アメリカやブラジルなどに代表される桃文化では、知り合ったばかりの相手に親しく接する人が多い(柔らかい)。初対面の人にしきりに微笑みかけ、すぐにファーストネームを使い、自分自身に関する情報を伝え、ほとんど知らない人に対しても個人的な質問をする。しかし、友好的なやり取りをしばらく続けていると、いきなり固い種に突き当たる場合がある。核の部分にある本当の自分はオープンにされず、関係性はそこまでで終わる。

 ロシアやドイツなどのココナッツ文化に属する人々は、友だち以外の相手には最初はあまりオープンではない。初対面の人に微笑みかけたり、単なる知り合いに個人的な質問をしたり、よく知る相手以外に個人的な情報を伝えたりすることは少ない。しかし時間を経て理解が深まっていくにつれ、次第に温かく、友好的に接してくれるようになる。友好関係を築くまで時間はかかるが、その関係は長続きすることが多い。

 桃に対するココナッツの反応には、いくつかのパターンがある。桃が友好的な態度で接してくると、それを友情の表明であるととらえるココナッツがいる。しかし桃は友人になるつもりはないのでそれ以上関係を深めようとせず、その結果ココナッツは桃に対して不誠実または言行不一致だと感じてしまう。ブラジルを訪れたあるドイツ人は、こんな当惑について話してくれた。「ブラジルではだれもがとっても友好的で、いつも『うちにコーヒーでも飲みにおいでよ』と誘ってくれる。ぜひ行きたいんだけど、肝心の住んでいる場所を教えてくれないことが多い」