大西正也
チャイナ・コンシェルジュ社長 大西正也(撮影:加藤昌人)

 「この投資ガイド、日本語が間違っています。私が作りましょうか」

 「高くつくでしょう?」

 「タダで作ります。広告を集めて印刷代もこちらで稼ぎます。だから事業許可をください」

 1995年、大西正也は出版規制の強い中国で、地区政府や日系企業のコンサルティング会社として、フリーペーパー事業を展開する許可を中国の大連市政府から獲得した。チャイナ・コンシェルジュ創業の瞬間だ。

 学生の頃、三菱商事に勤務していた父親が52歳で独立した。大会社にいれば事業失敗のリスクはヘッジできるが、頑張ったぶんのリターンや、事業の許容範囲に限界がある。父はそう説明した。日本製品の輸出事業を任されていたが、台湾向けなどは大会社で続けるには額が小さく、自ら貿易会社を設立することを決断したのだ。大学生最後の1年間、会社を手伝い、父の生き方に共感するようになった。

 自分もいずれ起業しようと考え、リクルートに就職。IT部門、人材系広告部門に従事し、4年間在籍した。その後、父の会社で中小企業が製造する化粧品などを輸出するビジネスを手伝った。日系大手が進出する前に台湾や香港の市場を開拓した。

 しかし、現地の台湾人には「われわれは中国大陸に商機を見出しているのに、人口たった2000万人の台湾になぜとどまるのか」と指摘された。

 94年、中国大陸へ渡った。発展途上の混沌と熱気に興奮し、薬や化粧品のセレクトショップを中国につくりたいと考えた。が、貿易会社をつくるには許可を得るまでに時間がかかり、要求される最低資本金の額もあまりに大きかった。

 壁にぶつかるなか、ハワイやニューヨークでは当然のように溢れている在住日本人向けのフリーペーパーが存在していないことに気づいた。リクルート時代の血が騒いだ。しかし、外国人に出版許可が簡単に下りるはずはなかった。このとき目に入ったのが、大連市政府の外国資本を誘致する部署が作った日本企業向け誘致・投資ガイド冊子だ。誤植のひどさにチャンスを直感、冒頭のとおり、フリーペーパー事業へと結び付けた。

中国人富裕層をつかんだ訪日観光客向け冊子で日本全国各地に送客

中国で「リクルート」モデルを体現<br />フリーペーパーの先駆者になった男<br />チャイナ・コンシェルジュ社長 大西正也
わが社はこれで勝負! 中国人向け訪日旅行誌「A[ei]」は現地旅行会社約180店舗や航空会社、空港などに配布し、12.5万部を発行。「Concierge」は中国や香港で発行されている日本人向け、「needs」は香港人向けのフリーペーパー

 98年、大連の空港で冊子を目にした北京市から声がかかった。北京市の後押しで中央政府から事業許可が下りた。香港、上海にも発行拠点を拡大。ネームバリューも高まり、日系企業から中国人マーケットについて相談を受けるようになった。

 年収350万円以上の中国人富裕層は人口の4.5%、6000万人。彼らにリーチする手法は何か。多くの日本人からの問いに大西が出した解は「海外旅行ができる中国人へのアプローチ」。2005年、日本を旅行する中国人向けのフリーペーパー「A[ei]」を立ち上げた。広告主のターゲットは観光客を求める日本の地方自治体だ。