公式戦の連勝記録が「119」で途絶えたとき、女王の名をほしいままにしてきた吉田沙保里は泣いた。約6年ぶりの敗戦から2ヵ月。今月20日、韓国・済州島で開かれたアジア選手権で復活を果たした彼女の胸には、どんな思いが去来したのか。

敗因は「油断」だけか

 吉田の連勝記録が途絶えたのは今年1月19日、中国・太原で開かれた女子レスリングワールドカップだった。米国のバンデュセン選手に返し技でポイントをとられて敗れた。

 帰国した空港で報道陣の前で涙を流したとき、それまで築き上げてきた吉田のイメージが崩れていくのを感じた人も多かったのではないか。4年前、アテネ五輪の55キロ級決勝で金メダルを獲得、栄和人監督を肩車したシーンはこれからも長く語り継がれる名シーンの1つだろう。以来、世界選手権でも4連覇を達成するなど、彼女は女子レスリングの世界で無敵を誇ってきた。

  敗れた選手は、かつて圧勝したことのある相手だった。

 タックルにはいったところを返された場面はビデオ判定となるほど微妙なジャッジだったが、「勝てると思って軽くいってしまった」という吉田自身が実感しているよりも、得意のタックルを相手に研究されていたことも事実だった。

 レスリング競技の連勝記録は、1964年東京五輪金メダリストの渡辺長武が通算189連勝を記録してギネスブックに掲載されている。五輪3連覇を果たしたアレクサンダー・カレリン(ロシア)は連勝数こそ不明だが、約12年間無敗を続けた。

 他の競技に目を移すと、男子柔道の山下泰裕が203連勝、吉田が女性アスリートとして目標にしている女子柔道の谷亮子は84連勝を記録している。

 カレリンは「連勝している自分を楽しむことだ」と、連勝記録を続ける秘訣を話したというが、それがいかに困難なことか、吉田は悔恨の涙とともに痛感しただろう。1人で頂点に立ち続けた状況は同時に、長く自らを敗北の淵にたたき落とすライバルがいなかった現実も照らしている。

 「私は勝ち続けて強くなったんじゃない。負けて強くなったんです」

 連勝を止められてから約1ヵ月後、ある雑誌の取材で向き合った吉田は意外なことを言った。

巨大なライバルの存在
「私は負けて強くなれた」

 女子レスリングが五輪の正式種目に決まったのは、アテネ五輪を前にした2001年の9月。このとき、吉田は中京女子大の1年生だった。世界選手権の7階級のうち、五輪で実施されるのは48、55、63、72キロ級の4階級。吉田は自分の階級である55キロ級が採用されたことに幸運を感じたが、金メダル候補として注目されたのは、ジュニア世代の世界選手権を制していた彼女ではなかった。