アラブ 2014年12月5日

教えて! 尚子先生
第二次世界大戦後、なぜイスラエルが建国されたのですか?<後編>【中東・イスラム初級講座・第17回】

チュニジア、エジプト、リビアと革命が続く中東。今でも毎日のように、テロや紛争のニュース が絶えません。なぜ中東では革命や政変がこんなに起こるのでしょうか。今回はユダヤ人はなぜ、イスラエル国家を建設したか。シオニズム思想が生まれてから建国までの歴史的経緯について紹介します。

【関連記事】【中東・イスラム初級講座・第16回】第二次世界大戦後、なぜイスラエルが建国されたのですか?<前編>

 今回は、ユダヤ人が国家を建設しようとする経緯の後半、シオニズムが生まれてから建国までの歴史的流れについて説明してみたいと思います。

 ユダヤ人の中でもシオニズムに対する見解はさまざまで、1)ヘルツルのようにユダヤ人の問題を政治的に国家建設によって解決しようとする政治的シオニズム、2)ビルー運動のロシア系ユダヤ人学生たちのように、パレスチナに実際に移住していく実践的シオニズム、3)ユダヤ国家の建設は社会主義を基礎とするべきとする社会主義的シオニズム、4)政治的に国家を建設するのではなく、ユダヤ文化の復興を重視する精神的シオニズム などがあったといわれています。もちろん、ユダヤ人の中には、シオニズムに反対する人々も存在していました。

 シオニズムに対して、ユダヤ人自身の中でもさまざまな立場や見解があることは事実ですが、その影響力が非常に強かったことは確かでしょう。政治的シオニスト(シオニズムを信奉する人)たちによる第1回シオニスト会議の開催から、現実にイスラエルという国家が建設されるまで51年しか経過していません。1800年間以上も離散していたユダヤの歴史を考えると、これは驚異的な速さといっても過言ではないでしょう。

博物館にもなっているマイゼルシナゴーグ。2014年9月改装中=プラハ【撮影/AIC】

シオニスト会議から国家建設までの50年とは?

 シオニスト会議の開催から実際に国家建設がなされていく約50年間は、世界的にみても2つの大戦が発生し、重要な事件が多発する複雑な時期です。少しでもわかりやすくするために、この時期をおおまかに3つの年代に分けて、1)第一次世界大戦からヒトラー政権成立まで(1914~33年)、2)ヒトラー政権成立からバルフォア宣言の撤回といわれるイギリスのマクドナルド白書発表まで(1933~39年)、3)イギリスからアメリカへと「主役」が交代する1939年から国家成立まで(1939~48年)を説明してみたいと思います。

1)第一次世界大戦からヒトラー政権成立まで(1914~33年)

 第1期である第一次世界大戦からヒトラーのナチス政権成立までは(1914~33年)、国家建設を模索するシオニストでさえ、それが実現するとはだれも予測しえない状況だったといえるでしょう。ですが、本シリーズの第3回「中東問題とはなにですか?」でも説明しているように、この時期には国家建設の萌芽とも、もしくはその後のパレスチナ問題の萌芽ともいえる重要な宣言や条約が発表されています。

 イギリスは第一次世界大戦に必要な莫大な戦費をユダヤの富豪ロスチャイルド家から得るために、そして各国に離散しているユダヤ人からの支援を取りつけるために、パレスチナの地に「ユダヤ人の民族的郷土(National Home)」の建設を支持するとしたバルフォア宣言(1917年)を発表します。

 しかし、その前にイギリスは、植民地であるインドのイスラム教徒からの支援と、オスマン帝国内(敵対するドイツの同盟国)のアラブ人に反乱を起こさせ、敵方を内部崩壊させるために、アラブ人に対して戦争に協力するならば、戦後の独立を約束するとしたフセイン・マクマホン書簡を作成していました(1915年)。

 さらには、同盟国であるロシアとフランスには、大戦後に中東を三分割して統治することを秘密裏に約束していました(サイクス=ピコ協定:1916年)。つまり、イギリスは戦争協力を得るために、多方面に同じ地域に対する異なる約束をしていたのでした。イギリスはそれほどまでに追い込まれていたともいえるでしょう。

 結果的にイギリスは第一次世界大戦に勝利し、1922年にパレスチナ北部(シリア・レバノン地域)をフランスに、パレスチナの東部(ヨルダン川より東)を委任統治領としてアラブ人に、そして聖地エルサレムをふくむヨルダン川西岸を自らが委任統治するという決定を行ないます(当時のパレスチナは現在のイスラエルよりもかなり広範囲な地域を指し、シリア・ヨルダン・レバノンの一部を含んでいました)。

 イギリスは同盟国としてともに戦ったフランスに対してのみ、約束を完全に履行しました(ロシアは戦争中に革命が発生し政権が交代)。イギリスはユダヤ人に対して「民族的郷土」と国家(state)は別ものであると説明して、反発を買うこととなりました。同様に、アラブ側も完全独立ではなく委任統治の形態であったことから、不満はくすぶったままでした。

 では、当時の実際のパレスチナはどのような状況だったのでしょうか? パレスチナへのユダヤ人の移住は、東欧におけるポグロムにより、19世紀末から開始されていたものの、人数は限られていました。1914年のパレスチナでは、ユダヤ人約6万人、アラブ人約73万人で、アラブ人の割合が92%と圧倒的な多数を占めていました。委任統治開始の1922年には、ユダヤ人約8.3万、アラブ人約66万(アラブ人の占める割合88%)で、イギリスはユダヤ人の移民数を、パレスチナの「経済的吸収能力」に応じて半年ごとに決定するとしていました。

 この時期のユダヤ人移民はポーランド系のユダヤ人が中心でしたが、1925年には年間3万人に急増したため、ユダヤ移民が大量に失業するという事態が発生しました。さらに、1926~27年はパレスチナ地域が不況にみまわれたために、パレスチナを離れるユダヤ人の数が流入する数を上回り、「民族的郷土」の確立は実現が不可能なのではないかと思われていました。


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橘 玲(Tachibana Akira) 作家。1959年生まれ。早稲田大学卒業。「海外投資を楽しむ会」創設メンバーのひとり。著書に『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』『(日本人)』(幻冬舎)、『臆病者のための株入門』『亜玖夢博士の経済入門』(文藝春秋)、『黄金の扉を開ける賢者の海外投資術』(ダイヤモンド社)など。
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