それがスミスのいう「財産への道」と「徳への道」の一致です。人間は富を追求する生き物です。それは否定できないし、否定すべきでもありません。しかし同時に、人間は徳を追求する生き物でもあるのです。

 富を獲得して世間から評価されるのが財産への道であり、徳を獲得して公平な観察者から評価されるのが徳への道なのです。ただし、道は違えど両者の目標は同じであって、それによって人類の尊敬と感嘆を得ようということです。

 つまり、誠実に仕事をすることによって、お金を稼ぐことは可能だというのです。もし人をだましたり、あこぎな儲け方をしようとすれば、たちまち信用を失い、富を得るチャンスを逃してしまうでしょう。

虚栄は大きなエネルギーになり得る

 以上のようなスミスのアクチュアルな道徳観を、もっとも典型的に表現しているのが「虚栄」という概念であるように思われます。スミスによると、人間は人から注目されるから競争するのであって、それを虚栄と呼びます。これはまさに、人よりよくありたいと願う野心そのものです。だから虚栄は手放しではいいものだとはいえないけれども、それをいい方向にもっていくことは可能だと主張するのです。

 虚栄は、そのままではだめだけれども、うまく飼いならせば大きなエネルギーになりうるということです。つまり、虚栄を飼いならすことで成功への扉が開かれ得るという、大胆かつ斬新な提言なのです。それだけ虚栄という概念に、秘められたエネルギーがあると考えていたのでしょう。

 現代社会を生きる私たちは、バブル崩壊や、強欲資本主義がもたらしたリーマンショックといったトラウマを抱えています。それが理由でどうしても虚栄を警戒してしまうのです。だからといって、競争することを恐れていては、永遠に社会が繁栄することはないでしょう。その意味で、「虚栄を飼いならせ」というスミスのメッセージに勇気づけられるのだと思います。

 残念ながら、人間の本質は美しいものではありません。私たちが想像する以上にリアルに損得を追求する生き物です。その点を見事に描き切ったスミスの思想は、それゆえに時代を超えて読み継がれるのです。時代背景が異なっても、人間の本質が変わることはありません。だから問題が起こるたび、私たちは古典を参照して、自らを省みます。そしてスミスの言葉に耳を傾けるのです。