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佐高 信の「一人一話」

破天荒な社会派 菅原文太の矜持と反骨精神

佐高 信 [評論家]
【第11回】 2014年12月22日
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 「今日中に連絡がほしい」

 菅原文太から、こう留守電が入っていたのは11月12日の夕刻だった。会食を終えて電話すると、本人が出て、「16日の会津での講演会に行けなくなったので、代わりに行ってくれないか」と言う。

 幸い、日曜日のその日は空いていたので、「わかりました。いいですよ」と答えると、ホッとしたように、「行ってくれる」と、なごやかな声になった。

 それが最後のやりとりだった。

 それから2週間余りの11月28日に菅原は亡くなったからである。

仙台一高の新聞部
一年後輩に井上ひさし

 会津での講演は、仙台一高で菅原の一年後輩だった憲法学者の樋口陽一との対談で、冒頭、菅原から次のようなメッセージが読み上げられた。

 「ことの外思い出の多い会津をお訪ねすることを楽しみにしていましたが、転んで腰を打ち、長く座っていることが苦痛なので、私の敬愛する親友、佐高さんに事情を話したところ、忙しい日程をやりくりして、会津に駆けつけてくれることになりました。

 飄々とした風貌の内に秘めた強い正義感、相当危ないことを発言しながら、なぜかみんなに愛される佐高さんと、学者としても人間としても桁外れのスケールの樋口さん二人を迎えてのこの度の会は、今の政治にご不満の会津の皆さんを大いに満足させるでしょう。お二人の話をよく聞き、勉強しておけば、次の選挙では、この国に暮らす私たちのために働いてくれる信頼できる議員を選ぶことができます。衆議院解散、選挙が目前の本日の集まりには、まさにピッタリのゲストです。私が転んでよかったかもしれない。まさに怪我の功名ですね。折があれば、ふらりと会津の温泉にでも行くつもりです」

 「敬愛する親友」には赤面するばかりだが、長々とこれを紹介したのは、生前の最後のメッセージだと思うからであり、さすがに高校時代は新聞部に入っていたという菅原の行き届いた文章に感嘆したからである。その新聞部の一年後輩が井上ひさしだった。

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佐高 信 [評論家]

さたか・まこと 1945年山形県酒田市生まれ。評論家、『週刊金曜日』編集委員。高校教師、経済雑誌の編集者を経て評論家に。「社畜」という言葉で日本の企業社会の病理を露わにし、会社・経営者批評で一つの分野を築く。経済評論にとどまらず、憲法、教育など現代日本のについて辛口の評論活動を続ける。著書に『保守の知恵』(岸井成格さんとの共著、毎日新聞社)、『飲水思源 メディアの仕掛人、徳間康快』(金曜日)など。


佐高 信の「一人一話」

歴史は人によってつくられる。ときに説明しがたい人間模様、ふとした人の心の機微が歴史を変える。経済、政治、法律、教育、文化と幅広い分野にわたって、評論活動を続けてきた佐高 信氏が、その交遊録から、歴史を彩った人々の知られざる一面に光をあてる。

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