もうひとつ、北海道恵庭市の札幌物流センター敷地内の事務所スペースに余裕があったため、テナント企業の誘致に成功。賃料収入が得られるだけでなく、テナント企業の輸送業務、書類保管等の業務受託につながった。「1年目は冬の寒さも厳しく感じた。2年目から仕事のやり方がみえてきて、3年目に軌道に乗り、東北ブロック(管轄の)一番の営業所になった」。試練を乗り越えた実感は、次の試練も乗り越えられる確信を生んだ。

 2011年3月11日の東日本大震災発生時、横山氏は仙台営業所の2階にある東北支店で東北ブロック会議に参加していた。津波の危険があったため、乗用車に乗り合わせ高台に避難。外出中のドライバーも全員無事と判明したが、仙台営業所1階と物流センターが津波で流される大被害となった。

 横山氏は札幌には戻らず、現地での復旧作業に従事。その際、協力してくれたのが仙台市青葉区に住んでいた家族だった。「食べ物がない中での肉体労働はきつかった。当時入手しにくかった食材を家族が何時間も並んで調達してくれて、これらを私が調理し、仙台営業所まで運んだ」という。

 被災後すぐに仮設住宅建設に伴う物流業務に追われることとなった。仙台営業所ではパソコンもデータも失われ、津波被害を免れた2階に仮の事務所を設置し、急きょ持ち込まれた発電機やパソコンで業務を再開。「住む場所がない人たちに一刻も早く住居を提供したいという思いがあった」。ガレキが邪魔して出荷作業もスムーズにはいかなかったが、積み込みのトラックのドライバーからは一切の文句もなかったという。

後進の育成に感動、生きがいもらう

 現在、所長を務める仙台営業所は女性が多い職場で、後進の育成にも力を入れる。同営業所の通販物流の責任者にフォークリフトオペレーターの女性、富塚咲紀氏を抜擢。その目覚ましい成長について、「『好きにやってごらん』という期待に応え、倉庫の一角に自分のお店かお部屋のような愛着を持ってくれた。彼女と一緒に働きたい、ついていきたいと皆が言う。私自身も感動、生きがいをもらった」と話す。

 地区リーダーとして多くの部下を抱えることになった横山氏。「仕事は時間内に終えるのがベストで、上司がそうコントロールしてあげる必要がある」が持論で、社会人1年目の時の上司が言った数字の"6"の意味がいまは良く理解できるという。「子供のPTAのため早退したいという所員がいたら『行っておいで』と送り出し、誰かが助けてあげる。この会社に居てほしい人材は宝で大事にしたい」。

 さらに、「マネジメントされるべき対象は、人・物・金・情報の4リソースで、この4つを有効に活用し、経営効率を最大化させること。そこで、一番大切にしなければ成り立たない最も重要なリソースが"人"。自分にかかわる全ての人に感謝したい」と語った。

(取材・文/『カーゴニュース』記者 石井麻里)