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“和田中の藤原”に見出され、たどり着いた起業への道
インディソフトウェア社長 野津幸治

週刊ダイヤモンド編集部
【第61回】 2009年1月23日
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インディソフトウェア社長 野津幸治
インディソフトウェア社長 野津幸治(撮影:加藤昌人)

 「リクルートに入ればオレがお前のプロデューサーになってやる」。アルバイト先の上司のこの言葉で野津幸治はリクルートへの入社を決めた。この上司とは後に民間出身初の杉並区立和田中学校校長として名を馳せることになる藤原和博。他社で内定が決まったことを報告に行った場でこう慰留されたのだ。

 野津は大学3年のときから、藤原が部長を務めるリクルートの新規事業部・メディアデザインセンターでバイトをしていた。「シーマン」などで知られる天才ゲームクリエーター斎藤由多加らとともにシミュレーションゲーム「財閥銀行」の開発チームで働いていたのだ。

 バイトとはいえ日中週4日フルタイムで勤務、ほかのバイトの雇用や取りまとめ、ゲーム制作で必要なリサーチの責任者として社員と同等の仕事をしていた。完成したゲームの攻略本の執筆と誌面デザインまで手がける仕事ぶりが藤原の目にとまったのだ。

 結論からいうと、藤原は野津の入社後3ヵ月でリクルートを離れ、プロデューサーになるというこの約束が果たされることはなかった。だが結果的に、この選択により野津の起業への道が敷かれていくことになる。

すべてを捨てて移籍した企業が合併で苦境に
部下のために独立を決断

 1993年4月、リクルートに入社。その後“新入社員”野津は早々に結果を出した。空のCD―ROMが約9000円した時代にワープロ・表計算などの体験版ソフト100本をパックにして2000円で書店で販売したのだ。あまりの廉価に当初は大手出版取次に取り合ってもらえず、社内の販売部と協力して書店に直接営業。

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