>>(上)より続く

 施設の利用料は月二〇万円だから決して安いとは言えない。スタッフは精神保健福祉の資格を持ち、医師と連係して症状の改善状況を観察する。その男性は共同生活に戸惑い、ふて腐れてもいたそうだ。だが、周囲が声をかけてきた。

「オレも借金で大変だったんですよ」
 「つらくないっすか」

 共同生活者は、いずれもが依存症で苦しんできた人たちだ。互いの苦しみがわかるから、助け合おうという気持ちが芽生えるのだろう。

 ある日の講義で、ギャンブルで失ったものを書き出した。

「家族」「友人」「信頼」

 書き出しているうちに感情が込みあげ、声をあげて泣いたそうだ。そして、かつて迷惑をかけた元妻と家族、元同僚らに謝りに行った。

「自分の現状を受け入れ、人生を見直していくうちに気持ちが楽になった。ギャンブルがなくても生活できる自信が少しずつ生まれてきた」

 私は、麻雀以外のギャンブルをやらない。というか、パチンコも競馬も、やったことがない。麻雀も、気づけばもう十五年近く牌も握っていない。打ちたくてもメンツが揃わないから、年に一回か二回、プレステで打つくらいだ。恥ずかしい。

 だから、ギャンブル依存症というものがどういうものかを私は知らない。

 ただ、思うに、依存症というのは、罪悪感のないことを言うのだろうとは思う。まずいな、借金した金でパチンコやってたらまずいよな、と思っているあいだはまだ依存症とは呼べないような気がする。女房にすまないと思い、後ろめたさがあるうちは、足抜けしたい気持ちも垣間見られるからだ。

 だが、借りた金をギャンブルに注ぎ込むことに悪びれもしなくなったら、それが依存症だ。自分の稼ぎだけでは足りず、金を借りてでもやりたい、やらなければ眠れないといった状態を言うのだろう。

 四、五年前、『リカバリーサポート・ネットワーク』という、パチンコ依存症の人たちを救済するNPOを設立した人を取材した。力武一郎さんという方だが、彼は、パチンコ店の経営者だった。パチンコ店の経営者が、パチンコ依存症の人たちを救う組織をつくったのである。