長野県の地ビールメーカー「ヤッホーブルーイング」の躍進がめざましい。いまや売上高は、大手4社とオリオンビールに次ぐ第6位。増産につぐ増産に対し設備投資リスクを抑えるため、キリンビールと業務・資本提携を結び、生産を一部任せるまでに業績を伸ばしているのだ。その原動力となっているのがネット上での売り上げだ。(ジャーナリスト 夏目幸明)

スキー場で頭に雪が積もるまで売ったが
売り上げが伸びなかった過去

 1994年、酒税法の改正により、日本も世界にならい、小規模ビールメーカーが営業できる地盤が整った。これにより90年代後半、日本各地に「地ビール」メーカーが出現。観光地などに大手4社にはないビールのラインナップが一斉に並ぶこととなった。

 ちなみに、日本の大手ビールメーカーが出している商品の多くは「ラガー」と呼ばれる、低温で比較的長時間発酵させたタイプ。一般的に、スッキリした味わいが特徴だ。だがビールには、常温・短期間で発酵させた「エール」があり、こちらは華やかな香りや豊かなコクが特徴の商品が多い。そして林立した地ビールメーカーは、大手との違いを出すため、こぞって日本ではあまりなじみがなかった製法・味のビールを世に出した。

キリン社長もうならせた「よなよなエール」のネット販売術ローソンでも大ヒットした「よなよなエール」。鳴かず飛ばずの時期を経て、独自のマーケティングが花開いた

「ヤッホーブルーイング」の「よなよなエール」も、そんな、日本では珍しいタイプのビールのひとつだった。元はといえば、星野リゾート社長の星野佳路氏が、米国留学時代に日本では珍しかったエールビールを飲んでうまさに惚れ込み、わざわざ長野県佐久市を拠点にメーカーを起業して製造したもの。味の評判はよく、創業と同時に地ビールが大ブームになったこともあり一気に売り上げを伸ばした。

 だが当時、星野氏は地ビールの一大ブームの到来になぜか危機感を深めていたという。現社長で、その後のネット戦略などを立案した井手直行氏が当時を振り返る。

「僕は一営業に過ぎなかったので、製造が追いつかず、問屋さんから『商品をあるだけ持ってきてほしい』と言われる現状に、何も危機感を抱いてはいませんでした(苦笑)。しかし、すぐに星野が言っていたことの意味を知ることになりました。地ビールメーカーのビールは、販売価格が高く、日本ではまだ歴史も浅かったため、価格に味のクオリティが伴っていない商品も多かったのです。すぐ世の中に『地ビールは高いのにおいしくない』といった雰囲気が醸成され、弊社の売り上げも一気に急降下しました」

 つくっても売れない。売れなければ会社の雰囲気も悪くなる。営業は「製造に力がない」となり、製造は「営業が売ってこない」と言う。仲間たちは次々と退職して行った。往年の勢いは見る影もなかった。井手社長が2001年頃のエピソードを話す。

「年末年始のスキー場でビールの試飲会を行い、観光客に商品を売ろうとしました。それくらいしかできることがなかったんです。スキーと温泉が楽しめるような観光地の土産屋さんの店頭で販売するんですが、雪が舞う中に何時間も立ちっぱなしだから、身体の芯まで冷えて、頭の上に雪が積もるんですよ(笑)。もちろん、そうまでして売っても『焼け石に水』なのですが、何もしないよりはマシでした」