想像以上に「産みの苦しみ」を味わった
“ハードボイルド”タッチ、“書き下ろし”への初挑戦

 『雨に泣いてる』では、今までやらなかった3つのことに挑戦しました。

 挑戦のひとつ目は、ひとりの主人公の視点で、感情を押し殺してドライに書くという“一人称のハードボイルド”の要素です。『ハゲタカ』シリーズの主人公・鷲津はハードボイルドな人間ですが、小説の手法としては一人称ではありませんし、もう少し枯れた感じの王道路線でチャレンジしてみたかった。

 ミステリーがお好きな方なら、ハードボイルドというと私立探偵を思い起こされるでしょうが、日本で私立探偵が請け負うことと言えば、大仕事を頼むお金持ちも少ないですから浮気調査ぐらいしかありません(笑)。それじゃあ小説としてしんどいですよね。

 そこで、現代社会で私立探偵の役割を果たせるのは新聞記者しかいない、と思ったわけです。それも、入社したてでは無理ですから、10〜15年ぐらい実績を積んで自由度が高くなった遊軍記者がいい。探偵と記者というのは、やることが非常に似ているのですが、大きく違うのは、知り得た情報の扱いについてです。私立探偵であれば依頼主に報告しますが、記者はつかんだニュースを表に出すかどうかにも葛藤が生まれるので、そこも面白いだろうと思いました。

真山仁の小説はどのように作り上げられるのか?<br />〜小説『雨に泣いてる』ができるまで<br />  :日常生活で希薄になった「死」を見つめる〜「書き下ろしは、『バイアウト』以来8年ぶり」

 挑戦の二つ目は、“書き下ろし”です。どこにも連載せずに新たな作品を、丸ごと1冊分一気に書くことになりますから、凝縮した仕上がりになります。実は、私にとっては『バイアウト』(『ハゲタカ2』に改題/講談社文庫)以来8年ぶりでした。ずっと雑誌の連載を単行本化する流れできたからです。マラソンランナーが駅伝ばかりやって感覚がなまる…とは思いつつ、書き下ろしはやらずにきました。

 じゃあなんで書き下ろしが少ないのか、ちょっと生臭い話ですが一般的な小説家事情を申し上げると、作家の収入は「連載の原稿料」と「単行本の印税」で成り立っていますから、定期的な収入の入る連載があるに越したことはありません。デビューしたときに「連載ができるようになったら、作家として一人前」とも言われました。それは、作家としての一定の評価を頂くだけでなく、“安定した生活”のベースができるという意味でもあります。

 とにもかくにも、なんとか今回8年ぶりに書き下ろしをやり遂げました。やってみて非常に難しく大変だったことは間違いない一方で、エンディングまで見通して物語を書きながら繰り返し推敲していく大切さや面白さを久々に感じることができました。

 恥を忍んで申し上げると、本作は幻冬舎さんの創立20周年企画として昨年出すはずでした。さらに実は、5年ほど前に他社の周年企画でも書き下ろしをとお声がけ頂きながら実現できなかったので、正直いって私の中で「もう書き下ろしはできないんじゃないか…」とジンクスを感じつつありました。それでも声をかけてくださった幻冬舎さんには何が何でも出さなければと、当初予定より約1年遅れではありましたが、ようやく仕上げることができました。

 挑戦の三つ目としては、別の角度からもう一度震災を見つめ直そうと考えました。

 95年に阪神淡路大震災があった当時、私はフリーライターをしていて、震源から10kmしか離れていない7階建てのマンションの1階に住んでいました。たまたま活断層が少しずれていて助かりましたが、普通なら死んでいたでしょう。揺れていた間、もう少し頑張れば小説家になる道が開けそうなのに、こんな死に方をするのか、と思ったのを今でも鮮明に覚えています。

 だから生き残ったとき、神様なんて信じないんですけど、じゃあ小説家になってみろよと言われた気がしました。その経験から、いつか震災ときちんと向き合って書かなければとは思っていましたが、2004年に『ハゲタカ』でデビューした後、震災について書きたいと提案したときの「なんで震災?」という出版社の反応に対して、私自身も説得できる切り口を見つけられずに、そのまま時が経っていたんです。

 結果的に、2011年に東日本大震災が起こってしまったことで、再び震災と向き合うことになりました。昨年2月に『そして、星の輝く夜がくる』(講談社)という東日本大震災を真ん中に据えた小説や、それ以前に『コラプティオ』(文藝春秋)という原発事故が起きたのに原発を輸出するという小説も書いています。ただし、相当に凄惨な現場だったはずの東日本大震災の被災地の様子は、私の小説に限らず、報道においてもどこにも書かれていないことがずっと引っかかっていました。