女川港付近

 祐子さんは、七十七銀行の女川支店に派遣社員として勤務していた。地震発生後、支店の行員は1人を除き、13人が30分以上も職場に残り続けた。祐子さんは、13人の中の1人だった。当時、女川町では、大津波警報が繰り返し鳴った。避難を呼びかける消防などの声もした。ラジオは、津波の状況を刻々と伝えていた。

 支店の跡地は、女川港から約100メートルのところにあった。今は取り壊され、広い空き地が広がる。港の向こうは冷たく、荒々しい海だ。寒さに慣れている高松さんは薄着のまま、車を出て歩き始める。頬を切り裂くほどに風は強い。それでも、当時を思い起こすようにゆっくりと話す。

「(支店の行員は)みんなで、書類の後片付けをしていたみたい。(生き残った1人の行員の)証言によると……。なんで、避難をしなかったんだろうね。そこが理解できない」

 高松さんたち遺族が調べると、この間、港近くの金融機関や会社などで働く多くの人が避難したという。だが、七十七銀行の行員たちは支店に残った。ラジオから流れる気象庁の津波の予測は、高さ6メートル、その後10メートル以上へと変わった。

 ようやく、支店長をはじめ、13人は屋上に上がる。直後に津波は付近一帯を襲った。屋上(高さ約10メートル)にいる行員たちがさらわれた。12人が死亡・行方不明となる。このうち8人は、見つかっていない。1人は漁船に助けられ、今も銀行に勤務しているという。

「大丈夫?帰りたい」
届くことがなかった最後のメッセージ

銀行の支店があった跡地

 震災発生からしばらく経ってから、祐子さんの携帯電話が見つかった。いったんは墓に納めたが、2013年3月に墓の改修で取り出した。電源を入れると、液晶画面にメールがあった。震災当日、高松さんの携帯に送ったものだった。

「 “大丈夫?帰りたい”“津波凄い”と書いてあった。それを見ると、泣けてきてね」

 送信時刻は、午後3時25分だった。屋上に津波が迫っていた時間だ。これが高松さんに届くことはなかった。

「ああ、女房を探さないといけない。一段と強く思うようになって……。よし、俺が海に潜ろうと。自分でなんとかしないとね。何かをしていないと、気が滅入ってしまうし。みんなから、助けられて、支えられて、なんとか……」

 高松さんは助かった1人の行員と会って、当時の状況などを教えてほしいと願った。それは、今なお実現していないようだ。

「津波が来るまでの間、高台に避難することを(支店長などは行員に)なぜ指示しなかったんだろうね。指示をしていたら、みんながあのまま残るわけがない。なぜなんだろう。七十七(銀行女川支店)の付近の金融機関や会社は、ほとんどの人がすぐ裏の高台に避難しているんだ。あの地震の後、わざわざ残るなんて……」