構造改革を経て多くの日本企業が過去最高益を記録している。とはいえ、未来に目を向ければ「持続的成長の実現」は依然として大きな課題だ。そして、持続的成長を可能にする鍵は、時代を先取りして自らが変革し続けることができるかどうか、すなわち組織の「自己変革力」である。
多数の企業変革に関わってきたデロイト トーマツ コンサルティング パートナーの松江英夫が、経営の最前線で果敢に挑み続ける経営トップとの対談を通じ、持続的成長に向けて日本企業に求められる経営アジェンダと変革の秘訣を解き明かす。
連載3回目は、46歳の若さでトップに就任以来、激変する半導体業界をリードし続ける東京エレクトロン代表取締役会長兼社長の東哲郎氏に、持続的成長の要諦を聞く。 

【持続的成長】
変化をいとわない文化がないと企業は停滞してしまう

松江 まず、社長に就任された頃を振り返りながら、東さんがお考えになる経営のあり方を幅広にいろいろ伺えればと思います。

経営理念のひとつめは「利益」<br />利益は付加価値を認められた証である<br />東哲郎(ひがし・てつろう)
東京エレクトロン代表取締役会長兼社長、
最高経営責任者(CEO)
東京都出身。1973年(昭和48年)国際基督教大学卒業、1977年(昭和52年)東京都立大学大学院修了、東京エレクトロン入社。90年取締役、96年社長、2003年6月から現職。

 幅広に、ですね。わかりました(笑)。私は1996年に一部上場企業において初めて46歳の若さで社長になりましたが、実は最初は断ったんです。というのも、大学と大学院に9年いて入社したのが1977年。1996年ということは、まだ19年目です。入社時は200人ぐらいの会社でしたが、19年目で社長になると、まだ先輩もいるし、お客さまも重要な方はだいたい年上です。そういう中では、ちょっと厳しいんじゃないかなあと思いましてね。

 ところが、ファウンダーも20代でこの会社を創業していますから、社員は自分より年上、お客さまも年上だったわけです。最終的に、「この業界は若いリーダーがやっていかないと駄目だ」と説得されましてね。結局、「じゃ、やりましょう」ということになりました。

松江 就任時はどのようなビジネス環境にあったのでしょうか。グローバルに環境が激変する業界なので、生き残るためのグローバル化のスピードも相当なものだったのではないでしょうか。

 社長に就任した96年ごろは、半導体産業全体が世界的規模で大きく変化する時代でした。1980年代後半から90年代初頭にかけて日本の半導体が世界に広がっていく時期でした。そして90年代前半から米国の半導体産業が復活し、また韓国も大きな勢いで成長してきました。それ以前は売上の約70%が日本、約30%が海外で、海外に対しては代理店を通して販売していました。

 しかし、90年代の初めぐらいから海外のお客さまが「技術サポートや開発を一緒にやっていけるメーカーでなければ、もう付き合わない」とおっしゃるようになり、「これは大変だ」ということで、とにかく東京エレクトロンのマーケットを主戦場である日本から世界に変えなければいけないと思ったのです。それで明けても暮れても「グローバリゼーション、グローバリゼーション」と言っていたんです。