橘玲の世界投資見聞録 2015年3月19日

南アフリカの首都は、プレトリア? ツワネ?
その背景にある「歴史問題」とは?
[橘玲の世界投資見聞録]

 これまで3回にわたって南アフリカ最大の都市ヨハネスブルグについて書いてきたが、今回は首都プレトリアを紹介したい。

[参考記事]
●南アフリカ・ソウェト、アパルトヘイト(人種隔離)が生んだ街。黒人が外界から"隔離"したら安全な地域に変貌
●「半径200mで強盗にあう確率150%」「バスの乗客全員が強盗」など南アフリカ・ヨハネスブルグの都市伝説は本当か??
●「世界でもっとも危険な都市ヨハネスブルグ」を安全に旅する方法

 とはいえ、南アフリカは一筋縄ではいかない。プレトリアについて語る前に、そもそも首都が「プレトリア」かどうかで議論があるのだ。

 南アフリカは首都機能を、行政(プレトリア)、立法(ケープタウン)、司法(ブルームフォンテーン)で3つの都市に分けている。これだけでもずいぶんややこしいが、ここでの問題はそのことではない。

南アフリカの首都はプレトリア? ツワネ?

 南アフリカの行政上の首都はプレトリアPretoriaとされているが、この原稿のために調べてみたら、正式にはツワネTshwaneだ。なぜこんなことになったのかを説明するには、南アフリカの歴史を遡ってみなければならない。

 17世紀半ばにオランダ東インド会社がケープ植民地をつくって以降、オランダ人に続いてフランスのユグノー教徒、ドイツのプロテスタント、ユダヤ人など、カトリック社会の差別と抑圧から逃れ、宗教的自由を求める人々がヨーロッパから移住してきた。かつてはブール人(ボーア人)と呼ばれ、現在はアフリカーナーと総称される彼ら白人たちが南アフリカの第一期の植民者だ。アフリカーンス語は、オランダ語をもとに、彼らがお互いの意思疎通のためにつくった言葉で、フランス人やドイツ人も現地の白人社会に同化し、母語を忘れていった。

 アフリカーナーたちはプランテーション経営のために、インドやインドネシア、マレーシアなどから多数の労働者をつれてきた。これがいまも、南アフリカにインド系住民が多い理由だ(マハトマ・ガンディーが南アフリカで弁護士として開業したのもこうしたつながりがあったからだ)。

 アフリカーナーの“歴史認識”によれば、初期の植民者は黒人を労働力とは認識せず、そのため黒人奴隷もいなかった(だからこそ、アジアから労働者をつれてきた)。南アフリカの宿痾となった奴隷制は、その後にやってきたイギリス人が持ち込んだものだ――。

 私はこの歴史観を、祖先が17世紀に入植したという由緒正しいアフリカーナーから聞いたが、帰国後に歴史を調べてみると事情はずっと複雑なようだ。

 1795年、フランス革命の混乱に乗じてイギリスがケープ植民地を占領したあと、貧しいイギリス人の入植が始まった。当時のヨーロッパではようやく奴隷制が非人道的として批判されるようになり、イギリス本土でもキリスト教系団体の奴隷廃止運動が活発になっていた。

 聖書は奴隷制を禁じているから、黒人奴隷を正当化するためには、彼らが「人間」であってはならない。だが近代の啓蒙思想が普及してくると、黒人をヒトではなくサルに近いとする論法は維持できなくなってきた。こうしてイギリスは1833年に奴隷廃止法を可決し、ケープ植民地の奴隷を解放した。

 この奴隷解放によって、アフリカーンスは無償の労働力を失い、プランテーションを維持できなくなってしまう。そこで彼らはケープ植民地を出て入植地を広げ、新たな奴隷を獲得していった。だがこれは、イギリス人が善でアフリカーンスが悪だという話ではない。イギリス植民地下では、英語を話すことができないアフリカーンスは二級市民として差別されていたのだ。

 その後、アフリカーンスは入植地をめぐってイギリスと対立し、2度のボーア戦争を戦うことになる。サファリで有名な国立公園にその名を刻んだポール・クルーガーは、この戦争におけるアフリカーンスの指導者だ。

 第二次ボーア戦争に敗れ、アフリカーンスの入植地はふたたびイギリスの支配下に置かれることになったが、その後も「植民地支配」に対する抵抗運動はつづいた。アンドリース・プレトリウスはこの時期の英雄で、彼の名をとって後の南アフリカ連邦の首都はプレトリアと命名されたのだ。

 だがアパルトヘイトが廃止され民主政府が誕生すると、黒人側から首都を改名すべきだとの主張が現われた。そのときに選ばれたのが、アパルトヘイトに抵抗した黒人の首長ツワネの名だ。

 これがきわめて深刻な政治問題になったことは、容易に想像がつく。

 プレトリウスはアパルトヘイトとは無関係で、むしろ「反植民地運動」の先達なのだから、アフリカーンスにとってこの改名を受け入れることなどとうていできなかった。だが多数派の黒人にすれば、アパルトヘイトが廃止された以上、過去を清算し民主的な手続きで首都の名称を決めることは当然なのだ。

 このやっかいな問題を解決するため、プレトリア市議会は2005年、郊外を含むプレトリア地区全域を「ツワネ首都圏」とすることにした。これによって行政上は「プレトリア」の名前はなくなったが、市中心部の名称は慣行としてこれまでどおりとすることになった――だから鉄道も「ツワネ駅」ではなく「プレトリア駅」のままなのだ。

 このように国内に“歴史問題”が埋め込まれた南アフリカでは、ちょっとしたことで政治がすぐに紛糾してしまうのだ。


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橘 玲(Tachibana Akira) 作家。1959年生まれ。早稲田大学卒業。「海外投資を楽しむ会」創設メンバーのひとり。著書に『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』『(日本人)』(幻冬舎)、『臆病者のための株入門』『亜玖夢博士の経済入門』(文藝春秋)、『黄金の扉を開ける賢者の海外投資術』(ダイヤモンド社)など。
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