ダイヤモンド社のビジネス情報サイト
めちゃくちゃわかるよ経済学 シュンペーターの冒険編

シュンペーターと“知恵袋”ゾマリーの国際金融をめぐる議論

坪井賢一 [ダイヤモンド社論説委員]
【第45回】 2009年6月24日
著者・コラム紹介バックナンバー
1
nextpage

 フェリックス・ゾマリーは、自伝(★注1)によると、1918年秋にはウィーンのアングロ・オーストリア銀行からベルリンの銀行家へ転じていて、ロスチャイルド銀行(ウィーン)のエージェント業務などを行なっていた。第1次大戦の敗戦直前である。中東欧各地に投資していたロスチャイルド銀行の資産の保全が業務の一つだったようだ。

 ドイツ国内は戦場になっていないので、終戦前後で混乱していても欧州各地を鉄道で移動できたようだ。自伝にはベルリンからの鉄道旅行の様子が克明に記録されている。自伝を出版したのは1960年である。半世紀前の旅行記だ。相当の記憶力の持ち主である。

食糧供給交渉を行なったゾマリー

 1918年11月11日、オーストリア社会民主党が主導権を握って共和制を宣言し、全政党による共和国臨時政府が成立(オーストリア革命)すると、その翌日、食糧供給に関する戦勝国(連合国=米英仏伊)との交渉のため、臨時政府からベルリンのゾマリーに対し、「至急ベルンへ行って交渉団に参加してくれ」、という要請がきたという。

  ゾマリーは「10年前にオーストリアを離れているので 食糧事情などまったくわからない」と、いったん断っている。

  しかし、すぐに学友オットー・バウアーから直接電話があった。バウアーは共和国臨時政府の外務大臣に就任していた。対外政策の責任者である。

 ゾマリーへの電話でバウアーは、「ベルンへとにかく行ってくれ」と懇請する。けっきょくゾマリーは3つの条件を出してバウアーの要請を受け入れた。条件とは「名目上の交渉団長ではなく現実的に行動できること、特別な委任なしに私以外のだれも相手に話さないこと、ミッションの活動期間を3か月間に限定すること」、である。

 オーストリアが第1次大戦後、急に食糧難に陥ったのは、オーストリア帝国の食糧供給源がハンガリーやポーランドだったのに、敗戦と同時に各国が独立し、オーストリアへ供給しなくなったからである。

 3か月間に限定して交渉の全権を委任されたゾマリーは、すぐに中欧各地を飛び回り、戦勝国(連合国)と交渉する。そして1918年12月末に米国から派遣されたフーヴァー委員会委員らがウィーンに到着し、彼らの尽力によりオーストリアへの食糧供給が始まる。ゾマリーは、「米国のフーヴァー委員会のメンバーは責任感のある非常に有能な人々だった」、と回顧している。

1
nextpage
関連記事
スペシャル・インフォメーションPR
クチコミ・コメント

DOL PREMIUM

PR
【デジタル変革の現場】

企業のデジタル変革
最先端レポート

先進企業が取り組むデジタル・トランスフォーメーションと、それを支えるITとは。

経営戦略最新記事» トップページを見る

最新ビジネスニュース

Reuters

注目のトピックスPR

話題の記事

坪井賢一 [ダイヤモンド社論説委員]

1954年生まれ。78年早稲田大学政治経済学部卒業後、ダイヤモンド社入社。「週刊ダイヤモンド」編集長などを経て現職。著書に『複雑系の選択』『めちゃくちゃわかるよ!経済学』(ダイヤモンド社)『浦安図書館を支える人びと』(日本図書館協会)など。


めちゃくちゃわかるよ経済学 シュンペーターの冒険編

「経済成長の起動力は企業家によるイノベーションにある」とする独創的な理論を構築したシュンペーターの発想の冒険行を、100年前のウィーンから辿る知の旅行記。

「めちゃくちゃわかるよ経済学 シュンペーターの冒険編」

⇒バックナンバー一覧