「幸せ食堂」繁盛記
【第二回】 2015年4月8日 野地秩嘉

五反田に“ひとり客”のパラダイスあり!

午後4時半の開店と同時に、客が…

居酒屋「かね将」のメニュー

 居酒屋「かね将」は五反田界隈でもっとも流行っている店だろう。午後4時30分が開店だけれど、主人の金子章治(あだ名は「かねしょう」)が午後4時にシャッターを開けたら、客が入ってくる。いずれもひとり客だ。それぞれが離れてカウンターやテーブルに座る。そして、やってきたひとり客は金子が仕込みに忙しいことをよくわかっている。なるべく邪魔をしないように、そっと小声で飲み物を頼む。そして、つけ加える。

「あと、手が空いたら、なんかちょうだい」開店よりも早めに入ってくるひとり客は常連であっても、遠慮がちなのである。

 30分もしたら50人は入る店内が満員だ。相席は当たり前。午後6時までなら予約はできるけれど、団体以外はまず予約しない。そして、満席になり、わいわいがやがやの状態になると、ひとり客は肩の荷を下ろしたような、リラックスした表情になる。開店時間が過ぎたこともあるが、何よりも、席が埋まって、喧噪状態のなかで飲めるのが楽しいのだ。

主人の金子章治さん

 わたしも経験があるけれど、旅先など店に入った時、まったく客がいない状態が続くのはつらい。店内がしーんとしていて寂しいこともあるが、それ以上にサービスの人がわたしに気をつかうのが申し訳ないのである。

 そこで、「早く帰らなきゃ」と焦って食べるから料理の味がわからなくなる。もっと食べたいものがあるのだけれど、「私だけのためにガスの火を使って調理してもらうのはもったいない」とこれまたいらぬ遠慮をしてしまう。食べるよりも、考えることが多くて頭が疲れてしまう。さらに、店内に客がいても、先着の客同士が全員、常連で顔見知りというのはもっとつらい。従業員と常連客だけの世界に足を踏み入れた異邦人の気持ちになる。

 さて、長々といらぬ説明をしたけれど、要は、かね将は、ひとりで入っても、そんな気持ちにはならない店だ。頭は全く使わない。気軽に何でも頼める。いつでも混雑してるから、サービスの人も適当に放っておいてくれる。わたしたちは喧噪にまぎれて、好きなものを好きなだけ頼めばいい。

 カシラとナンコツとレバとタン(いずれも100円)とポップコーン(280円)と、さば塩焼き(210円)とポテトサラダ(マカロニ入り 300円)とハムカツ(120円)を一度に頼んでいいのである。もう一度、ポップコーンとさば焼きだけを追加しても、「えっ」と聞き返されることはない。かね将は、ひとり客にとってのパラダイスだ。

この連載記事のバックナンバー
トップページへ戻る

野地秩嘉 1957年東京都生まれ。早稲田大学商学部卒業。出版社勤務、美術プロデューサーなど を経て、ノンフィクション作家に。食や美術、海外文化の評論、人物ルポルタージュ など幅広く執筆。近著に、「TOKYOオリンピック物語」「イベリコ豚を買いに」「打 ち合わせの天才」「アジア古寺巡礼」「アジアで働く いまはその時だ」など。


「幸せ食堂」繁盛記

この連載は、味がよく、サービスも悪くなく、値段はリーズナブルで、しかも、できればハイサワーやホッピーを置いている店のグルメガイドだ。ここで紹介される店は、金持ちの社長やグルメ評論家はまずいない。著者は、そういう店を「勤労食堂」「国民酒場」と呼ぶ。そこでは客が微笑しながら食べている。ほほえみながら食べている人と一緒にいることは至福だ。人生の幸せは勤労食堂もしくは国民酒場にある。

「「幸せ食堂」繁盛記」

⇒バックナンバー一覧