何かをしてあげたいと思わないこと

 「人の話ばかり聞いてつらくなることはありませんか?」
 とよく聞かれます。
 わたしはつらくなってしまって、何かしてあげたいというところまで考えません。
 自然に静かに結果をいただくという感じです。
 何かをしてあげたいと思うと、疲れてしまって、この仕事さえやりたくないと思いますからね。
 もちろん、ただ聞いているわけではないので、疲れるときは疲れますが、そういうときは自分のほうで少しお休みして、なるべく答えるようにしています。

『森のイスキア』のような活動をしたいという人が増えてきましたが、こうした方にも上手に調和を取りながらやってください、とお話ししています。

 亡くなった心理学者の河合隼雄先生は、
「話したい人は多いけれど聞いてくれる人がいない」
 とおっしゃいました。
 実際に「なかなか自分のことでいっぱいで人を受け入れる度量がない」という人は多いですね。

 自分というコップがいっぱいになってしまって受け入れる水が入ってこない。
 でも、こちらはよくしようとかではなく、まずそのままでいること。透明でいるということですね。

 誰しもよくしたいし、よく思われたい。
 でも、何も考えないで、あえてしたことが尊いものになっているはずです。
 自分で何をやればいいなあとか、あの人はあれが好きだからこうしましょうとか、と言うとちょっと変わってくるんですね。

 だけど、向こうで喜んでいるのを何だろうと思えば、実際は何もしていない。時が働いているんですね。