統一地方選挙で無投票が続出
原因は戦後の地方自治の仕組み

無投票続出の地方選を救う教訓は<br />山縣有朋の「住民自治」にあり日本の統一地方選の投票率は、低下の一途を辿っている。制度の構造的な課題は、どこにあるのか Photo:beeboys-Fotolia.com

 先の統一地方選挙は、町村長選挙の無投票が43.4%、町村議選でも21.8%が無投票(朝日新聞/2015年4月22日付)。投票率も軒並み最低(読売新聞/2015年4月27日付)というものであった。地方自治は「民主主義の学校」と言われるが、それが危機的と言ってもいい状況になってきている。かつては「出たい人より、出したい人を」などと言っていたが、今や「出たい人」もいなくなってきているのである。

 筆者は、その1つの原因が、憲法が定めた戦後の地方自治の仕組みだと考えている。というのは、戦前には「出たい人より、出したい人を」という流れがあったからである。実は、地方自治に造詣の深い塩野宏・東京大学名誉教授も、日本国憲法に問題があるとすれば、国政の基本を定めるべき憲法において、地方自治体の基本構造を規定してしまったことであろう、としているのである。

 憲法は、地方自治をその本旨に基づいて法律でこれを定めるとしているが、93条2項で「地方公共団体の長、その議会の議員(中略)は、その地方公共団体の住民が、直接これを選挙する」と規定した。立法者の意思は、それによって日本の民主化を図ろうとしたのであろうが、町村長まで直接選挙にしたことには無理があった。

 というのは、米国でもそうはなっていないからである。米国は「地方自治の実験場」とも言われる国で、町村長が直接公選の地域もあれば、町村議会によって選ばれる地域もある。他の国でも、英国やフランスの町村長は、町村議会で選ばれているし、日本と同様に敗戦国だったドイツの場合も、公選の議員からなる評議会が選任した参事会が行政を行うケースや、参事会の議長が首長になるケースなどと様々である。

 わが国の近代的な地方自治制度は、明治21年の町村制に始まるが、そこで導入された制度は、町村会が町村長を選出するというものであった。そして、町村長を選出する町村会議員は、立候補なしに町村会議員に選ばれ、選ばれれば拒否できないとされていた。それは、立候補などしなくても誰を地域の議員にすべきかを皆が知っており、皆から選ばれれば当然に引き受けるという仕組みであった。

 選ばれたのに辞退すると、公民権停止や市町村税の増課等の厳しい処分が待っていた。立候補制がなかったのは府県会も同じで、そのような制度の下、第1回の東京府会選挙では、福沢諭吉や大蔵喜八郎、安田善次郎などが当選して活躍している。

 ちなみに、国政選挙(帝国議会議員選挙)では候補者制度が導入されたが、その場合でも本人の届け出以外に選挙民による推薦届け出があり、本人が知らないうちに選出されることがあった。「出たい人より、出したい人を」だったのである。