1300度を超えた瞬間、
陶器も透明になる

 わたしが以前、韓国へ講演に行ったとき、人間国宝である陶芸家の方に伺ったお話です。

 陶器というのは粘土をねって形づくっていくわけですが、それを釜に入れてどんどん熱を上げていき、温度が1300度を超えた瞬間に、その釜の中に入れた陶器が透明になる、その透明になった瞬間を確認してから、だんだん温度を下げていき、そして陶磁器というものができあがるそうです。

 1300度を超えた瞬間に透明になる、これはどういうことかというと、単に土を固めた粘土に“命が宿る”ということなのですね。

 陶磁器が透明になった瞬間に陶磁器に有機性という命が宿り、その有機性が共鳴する。その相乗効果が陶磁器の魂であり、命であり、そこで初めて芸術作品としての陶器ができあがるのです。

 だから我々の人生においても、なにかに燃えて、一心不乱に打ち込んでいるという状態が、やはり人間の生き方の最高の状態というふうに思います。

 もうこのことのためなら死んでもいい、このことで命をかけても悔いがない、そういう状態ということですね。

 そう考えると、我々が本物の人間になるためには、やはり命が燃えるという状態にならなければいけない。
 なにかに熱中する、自分の存在がわからなくなるぐらいなにかに熱中する、そのことのためには意味や価値や値打ちや素晴らしさというのを感性で感じることです。
 頭で考えている間は冷たくなってしまって燃えられませんから。