片桐 たしかに美大でも、評価がほしいとかではなく、描かずにいられないやつだけが絵描きになりました。

人から評価されなくても<br />何かを続ける秘訣とは?岸見一郎(きしみ・いちろう)
哲学者。1956年京都生まれ。京都在住。高校生の頃から哲学を志し、大学進学後は先生の自宅にたびたび押しかけては議論をふっかける。京都大学大学院文学研究科博士課程満期退学。専門の哲学(西洋古代哲学、特にプラトン哲学)と並行して、1989年からアドラー心理学を研究。精力的にアドラー心理学や古代哲学の執筆・講演活動、そして精神科医院などで多くの“青年”のカウンセリングを行う。日本アドラー心理学会認定カウンセラー・顧問。訳書にアルフレッド・アドラーの『個人心理学講義』(アルテ)、『人はなぜ神経症になるのか』(アルテ)、著書に『嫌われる勇気』(古賀史健氏との共著、ダイヤモンド社)、『アドラー心理学入門』『アドラー心理学実践入門』(以上、ベストセラーズ)』、『アドラー 人生を生き抜く心理学』(日本放送出版協会)などがある。

岸見 でもアドラー研究の道に進んだのは、もう一つ理由があります。それは、他の人はやっていないからということ。ぼくはもともとギリシア哲学のプラトンの研究をしていました。でも、プラトンの研究者は2500年くらい前から世界中に山ほどいるわけです。そのなかで頭角を現すのは非常に難しかった。大学の頃から考えて、15年くらいプラトンの研究を続けてきた頃に、アドラー心理学にたまたま出会いました。

片桐 偶然だったんですか?

岸見 アドラー心理学を日本に紹介した先生が友人だったのです。そこで、アドラーの研究者はまだ少ないからやってみようかな、と思ったのは事実です。プラトンに関してはそのとき、この研究を続けざるをえない、という感じがそんなに持てていなかったのです。

古賀 でも、15年もギリシア哲学の研究を続けてらしたんですよね?

岸見 はい。だから、そこでアドラー研究に切り替えるのはけっこう勇気が必要でした。まわりの人にも「アドラーなんかでいいのか」と言われました。アドラーのことを何も知らないのにね(笑)。僕自身は「アドラーなんか」とは思いませんでしたが、ここでアドラーに切り替えたらプラトンの研究には戻れないと、すごく悩んだんです。でも、最終的にプラトンとアドラーは自分の中でひとつになって、両方哲学者だという位置づけができた。そこで、この道は正しかったと思いました。