ヤナセ100周年、JAIA50周年の節目に
輸入車業界の今とこれからを俯瞰する

「勝ち組」はドイツ車、「負け組」は……?<br />節目を迎えた輸入車の真価を探る5月下旬に行われた、ヤナセ100周年式典・祝賀会の様子。日本の輸入車業界をリードしてきた同社が節目を迎えた今、厳しい日本市場で輸入車が真価を発揮するための条件を探る
写真提供:ヤナセ

 この5月末に、日本の輸入車業界にとって大きなエポックがあった。

 1つは、輸入車販売業界の雄・ヤナセが創立100周年を迎えたこと。もう1つが、輸入車業界の団体である日本自動車輸入組合(JAIA)が設立50周年を迎えたことである。

 ヤナセが5月25日に東京帝国ホテルで創立100周年記念式典を開催すれば、JAIAも東京プリンスホテルで設立50周年記念祝賀会を開催し、1週間で2回も輸入車業界トップが勢揃いする異例の事態となった。

 まさに、日本における輸入車にとって節目となるこのタイミングで、日本の輸入車業界を改めて俯瞰し、今後の流れを分析してみたい。

 まず日本の輸入車と言えば、ヤナセなくしては語れない。それはヤナセという企業はもとより、かつて長年ヤナセを率いてきた故梁瀬次郎翁抜きでは語れないということでもある。ヤナセは、1915年(大正4年)5月25日に同社の前身である「梁瀬商会」として創立され、米国車「ビュイック」「キャデラック」の輸入販売をスタートして以来、長年輸入車業界をリードし続けた「百年企業」である。

 創業者・梁瀬長太郎氏の後を継ぎ、戦時中の混乱期だった1945年に2代目社長となったのが、梁瀬次郎氏。戦後いち早く米GMから全車種の販売権を獲得(1948年)し、輸入車販売を再開。その後、独メルセデス・ベンツやVWの輸入元となり、英ボクスホール、スウェーデン・ボルボの輸入元も担った。

 梁瀬次郎氏は、1965年の乗用車の輸入自由化に備え、全国の販売・アフターサービスのネットワークの基礎をつくり、1969年に社名を現在の「ヤナセ」に変更した。これと並行して、1965年に「日本自動車輸入組合」(JAIA)が発足し、初代理事長に梁瀬次郎氏が就任。「輸入車ならヤナセ」というイメージを浸透させ、ヤナセを輸入車販売業界の雄に育て上げ「ヤナセ中興の祖」となった。

 一方、1965年の就任から2000年5月に退任(過去に一時退任し1976年に復帰)するまで、実に27年にわたるJAIA理事長として「日本の輸出入の貿易アンバランスを是正する」ことを主張し、輸入車業界のリーダーの役割も果たした。

 ちなみに梁瀬次郎翁は、2002年に日本自動車殿堂の初代殿堂者となり、2004年には日本人として5人目となる米国自動車殿堂入りを果たしている。