Reflection
「無気力」を学習せざるを得なかった方々への支援

 農業は、専門知識を必要とする仕事から、誰でも担える比較的優しい仕事まで、人によって、さまざまな関わり方ができます。また、それを自然に触れながら、集団で行うことで、信頼やチームといったものを学ぶ機会にもなります。そして、収穫というかたちで、自らがかかわった成果が可視化され、他者に喜ばれる、食べてもらえるという特徴があります。

 小島さんの取り組みは、もう一度立ち上がろうとする方々に、そうした機会を提供する非常に貴重な試みであると感じ、深い感銘を受けました。

 同時に感じたのは、これを小島さんだけの取り組みにしてはいけないのではないか、ということです。小島さんは、「今のところ、私だけでは1度に6名程度しか受け入れられません。農スクールをモデルとして、全国で同じような取り組みを検討して欲しい」とおっしゃっていました。

「パンドラの箱」をメタファとするような過酷な取り組みを、小島さんという個人だけが担っていくことには制約があります。公的な援助も含めて、国レベルの支援が必要であると強く実感しています。

 小島さんのところにこられる方の中には、これまでの辛い経験で「無気力」や「虚無感」といったようなものを身につけざるを得なかった方がいらっしゃるそうです。中には、過去の虐待、熾烈な家庭環境が原因のひとつで、就学・就労がうまくいかなったケースも存在するそうです。「生まれ」は誰にも選ぶことができません。特に、こうした「やむを得ず、行き着いてしまった方々」への公的支援の充実は、喫緊の課題だと感じます。