続いて、ジョン・ロック(1632-1704)。

 彼は、自由で平等な自然状態を平和状態だと考えます。ホッブズとは反対の考え方だね。そして、労働による私的所有を自然法で認められたものとする。国家は自然法を守るために誕生し、司法(裁判)も自然法を守るために存在するとします。

 しかし、ロックは私的な暴利を認めない。そして、王権の前に人びとの自然権があるとしました。「人間は生まれつき平等である」と『市民政府論』(1690)に書いています。

 自然法の考え方はのちにプロイセンの哲学者イマヌエル・カント(1724-1804)やゲオルク・W・F・ヘーゲル(1770-1831)に影響を与えています。マルクスはヘーゲルの影響を受けていますが、ややこしくなるのでまた今度。

 18世紀に入ると、社会契約説をベースにさまざまな政治思想が登場してきます。フランスのジャン・ジャック・ルソー(1712〜78)はロックの思想をさらに推し進めて、共同体構成員、つまり市民全体の自由と平等を求める。

 一方、英国の哲学者ジェレミー・ベンサム(1748〜1832)は、正しい政策は最大多数の最大幸福を目的とするものだと主張します。これを功利主義といい、アダム・スミスに影響を与えた考え方です。最大多数の最大幸福、これも覚えてね。

 こうして市民革命の時代になるわけですが、人間は平等であり、王権の前に自然権があるとしたジョン・ロックの影響は海を越えて広がり、各地で革命が起こりました。

 英国名誉革命(1688)、米国独立宣言(1776)、フランス革命(1789)と続きます。名誉革命で王権制限、議会の優位が明確になり、イングランドとスコットランド連合議会が1707年に生まれます(アイルランドを含む議会は1800年)。米国独立宣言では「幸福追求権」(私的所有)が打ち出され、フランス革命では「所有権」が認められます。

 英国が進んでいたのは、産業革命によって富裕な市民(ブルジョワジー)が増加したからです。英国産業革命は、アークライトの水力紡績機(1771)、カートライトの蒸気機関紡績機(1785)、ワットの蒸気機関ピストン(1785)、蒸気機関車(1804)などの発明によって進みました。

 こうしてブルジョワジーが誕生し、王権は弱くなります。近代以前の身分制度は、王-貴族-商工業者-農民でしたが、18世紀後半になると、王-貴族(地主)-産業資本家-労働者、という階級に変化します。
アダム・スミスはこのような社会経済情勢を背景にして『国富論』を書きました。工業化の進展は『国富論』の後ですが、ブルジョワジーが力をつけたことでしょう。

受講者 なるほど。市民の自由、王権の世俗化によって、市民の自由を前提にしたアダム・スミスの考え方が出てきたわけですね。