橘玲の日々刻々 2015年6月25日

日本の“リベラル”は、世界標準の“リベラリズム”とは別モノだった
[橘玲の日々刻々]

『リベラルのことは嫌いでも、リベラリズムを嫌いにならないでください』(毎日新聞)の著者、井上達夫氏(東京大学大学院法学政治学研究科教授)は、日本法哲学会理事長も務めた法哲学(正義論)の第一人者だ。井上氏の立場はリベラリズムだが、これは「リベラル」とはちがう。本書の帯に「偽善と欺瞞とエリート主義の「リベラル」はどうぞ嫌いになってください!」とあるように、ここでは正統な(世界標準の)リベラリズムの立場から、日本の特殊な(土着的な)「リベラル」がきびしく批判されている。

世界標準の「リベラリズム」とは何か?

 リベラリズムは近代主義の思想で、その歴史的起源は「啓蒙」と「寛容」にある。

 啓蒙は、理性によって因習や迷信を打破し、その抑圧から人間を解放する思想運動。寛容は、宗教改革で始まったカトリックとピューリタンの血なまぐさい戦争を終わらせるための共存の技術。これを両輪として、リベラリズムは「正義の思想」を成熟させてきた。

 だがいまや、リベラリズムは啓蒙を捨て、寛容だけを強調するようになったと井上氏は嘆く。

 啓蒙は理性の独断化、絶対化によって、スターリンによる強制収容所国家や、3000万人が餓死したとされる毛沢東の大躍進運動・文化大革命を招いた。その歴史を真摯に受け止めれば、立憲民主主義の伝統のない国や社会にリベラリズムを無理矢理押しつけても、かえって圧政と混乱を招くだけだ。

 民主選挙によるお墨付きから独裁が生まれるアフリカの「民主主義国家」や、アメリカがリベラルデモクラシーの理想を持ち込んだイラクの惨状を見れば、この事実は否定できない。だとすれば、リベラルな政治体制とは異なる伝統や文化を持つ社会に対しても、それが許容範囲を超えなければ(政治犯を片っ端から処刑していくようなことをしなければ)、互いの違いを認めて共存していくしかない、というのだ。

 だがこの「寛容」が、内政不干渉を絶対化して、世界のあちこちで起きている悲劇の原因になっていることも確かだ。

 ソ連の崩壊とともに多民族国家ユーゴスラヴィアが解体しはじめたとき、ヨーロッパの国々はそれを(ユーゴという)主権国家の内政問題と見なし、介入を手控えた。その結果、セルビア人、クロアチア人、ボスニア人による凄惨なジェノサイド(民族浄化)が起きたのだ。――これについては以前書いたが、彼らはそもそも「異なる民族」ですらなかった。同じ言葉を話し、同じ文化を持つひとたちが、宗教のちがいを利用して人工的に「民族」をつくりだし、「俺たち」のナショナリズムによって「奴ら」を皆殺しにしはじめたのだ。


[参考記事]

●W杯、ボスニア代表の背景にある凄惨な”民族紛争”の歴史
 

 啓蒙を捨てて寛容のみを称揚するリベラリズムは口当たりがいいが、それは欺瞞だと井上氏はいう。なぜなら、正義には絶対的な基準があるからだ。

 この正義の基準(正義概念の規範的実質)は、「反転可能性」「ただ乗りの禁止」「二重基準の禁止」だ。

 反転可能性というのは、自分が受け入れられないことを相手に課してはならないというルール。自分と相手の立場を反転させて、それでも許容できることだけを相手に要求できるのだ。

 「ただ乗り(フリーライド)の禁止」は、コストを払わずに利益だけを得るのは不正だということ。「二重基準の禁止」は、ダブルスタンダードを使ったご都合主義を許さないことだ。

 従軍慰安婦問題や福島原発事故の誤報で批判されている朝日新聞は、この「二重基準の禁止」に抵触する。「リベラルが、言っていることとやっていることが違うという、ダブルスタンダードを見せたら、リベラルの主張そのものが自壊してしまう」のだ。

リベラリズムの視点で各種の問題を判断する

 「世界標準」のリベラリズムの視点から、現在のさまざまな政治問題(正義に関する問題)はどのように判断できるのだろうか。まずは従軍慰安婦問題。

 井上氏は、歴史的事実として、日本軍が慰安婦施設の管理にかかわったことは否定できないとしたうえで、「アジア女性基金」を設立して1人200万円の償い金を支払うとともに、総理大臣(小泉純一郎)による「お詫びの手紙」をつけたことを指摘する。この手紙には、

 「私は、日本国の内閣総理大臣として改めて、いわゆる従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し、心からおわびと反省の気持ちを申し上げます。」

 と書かれている。

 このモデルになったのは、レーガン大統領が1988年に、第二次世界大戦中に強制収容した日系アメリカ人に対して行なった謝罪だ。このときは、生存者に対して1人2万ドルの補償金が支払われている。

 この両者を比較して、井上氏は次のように述べる。

 「決定的な違いは、アメリカは自国民に対して謝罪したのに対し、アジア女性基金の場合は、他国民に謝罪したことです。

 アメリカは、自分が侵略した他国に対し、謝罪なんかしませんよ。それどころか、ベトナム戦争後、統一ベトナムに対し、南ベトナム政府に貸したカネを返せなんて要求しているくらいですからね。米国下院が慰安婦問題について日本非難決議をあげたときには、「厚顔無恥」とはこのことかと思いました。

 そんなアメリカに比べればもちろん、国際的に見ても、アジア女性基金のように、法的責任について争いがあり、決着できないときに道義的責任としてではあれ、戦争責任の問題にここまで踏み込んで、他国民に賠償・謝罪した例はないはずです。日本としては、それを誇るべきなんですね。

 ところが、韓国や日本の支援団体や人権団体の一部が、アジア女性基金を「政府の法的責任を隠蔽するための欺罔的手段だ」なんてめちゃくちゃ批判した。彼らも「リベラル派」と呼ばれるかもしれないけれど、こういう人たちがいるから「リベラル嫌い」がふえても仕方ないと私は思います。

 リベラルといえば、何が何でも自己否定の土下座外交、というイメージを生んでしまったのは、そういう運動です。それに対して「自虐的だ」という反発が起きても無理はないと思います」

 これに続けて井上氏は、「ドイツは、自分たちの戦争責任の追及を、日本によりもずっと立派に行なった」というのは「神話」だと述べる。

 そもそもドイツでは、戦争責任の主体はナチで、国民は「ナチの犠牲者」だとされている。おまけに責任の対象は侵略戦争の相手ではなく、ユダヤ人に対する強制収容と集団虐殺に限定されている。ホロコースの犠牲者の大半はドイツ国民(ドイツ系ユダヤ人)だ。

 1970年に(当時の)西ドイツ首相ブラントがポーランドのユダヤ人ゲットーの慰霊碑に跪いたが、ポーランド人がドイツ支配に対して蜂起した慰霊碑は訪れていない。ワイツゼッカー大統領の有名な演説も、「ドイツ人もナチの被害者だと言っているし、しかも、ドイツ人自身が戦争で受けた被害や、敗戦後占領地から帰国する途中で多くのドイツ人が殺されたとか、そういったことも強調している」点で、リベラリズムの立場からは戦争責任のとりかたとして限界がある(ドイツ人の「反省」もその程度)。

 「いずれにせよ、日本が、ドイツにくらべて、戦争責任の追及をしっかりやっていないと言われるのは、おかしいですよ。おかしいんだけど、そういうイメージが国際的にもつくられてしまった。日本のリベラル派でもそう思っている人が多い。それはあまりにもひどい自己否定ですね。そういうことが逆に、自虐史観批判とかいう名前の、過度の自己肯定を招いてしまっているんではないか」と井上氏はいう。


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橘 玲(Tachibana Akira) 作家。1959年生まれ。早稲田大学卒業。「海外投資を楽しむ会」創設メンバーのひとり。著書に『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』『(日本人)』(幻冬舎)、『臆病者のための株入門』『亜玖夢博士の経済入門』(文藝春秋)、『黄金の扉を開ける賢者の海外投資術』(ダイヤモンド社)など。
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