この論文に対し、マルクス主義者ヒルファーディンクが反論しました。ヒルファーディンクの論文「ベーム=バヴェルクのマルクス批判」の内容を要約します。

・ベーム=バヴェルクの論旨は非社会的である。
・経済学の出発点を個人に置くのか、社会に置くのか。
・個人の欲望を考察するのは非歴史的であり非社会的。
・マルクスは労働価値説を価格決定の手段ではなく、資本主義の運動法則を発見する手段とする。
・ベーム=バヴェルクの考え方、すなわち限界効用理論は、資本主義体制のもつ本質的な傾向とは無関係。

 この2つの論文を元にしてベーム=バヴェルクのゼミで議論が続いたそうです。違いは明確だよね。

受講者 経済を「人間の欲望の集合にある」とする新古典派に対し、マルクス経済学は「資本主義の運動法則の解明が目的であり、社会的な学問だから個人の欲望なんか対象にしていない」というわけですね。

 そういうことです。

資本主義はやがて崩壊する…?

 次にマルクス経済学の理論上の2つ目のポイントです。これはちょっと論理学的な話で、現実の私たちの生活とは距離があるので聞き置いてください。読むのが面倒な読者は飛ばしてください。用語も現代の経済学とは違うので、覚える必要はありません。

 マルクス経済学の重要な命題に「利潤率低下法則」があります。資本主義のもとでは利潤率が必ず低下し、やがて崩壊するという考え方で、資本主義は必然的に滅びるとしている根拠です。

 古典派経済学では、とくにスミスやリカードは、市場は放っておけばやがて安定し、均衡する、と主張していたけれど、まったく反対だよね。放っておくと利潤率は低下し、やがて経済システムは崩壊するというのだから。

 利潤率低下法則は次のように説明できます。

 資本家が剰余価値M(労働者が生んだ価値、賃金以上の価値)を、可変資本V(労働力)よりも不変資本C(生産手段の購入資本)に多く投資すると、資本の有機的構成(不変資本C/可変資本V)が高度化し、総資本に対する剰余価値の比率が低下する。すなわち、利潤率p’は傾向的に低下する。m’(剰余価値率)=M/V、だからm’が不変であれば、資本の有機的構成(C’)が高度化するにつれて利潤率(p’)は低下する。

 つまり、剰余価値Mを総コスト(C+V)で割った数値が利潤率p’だと定義されます。すると、資本家が不変資本Cに投資すればするほど分母が大きくなって利潤率はどんどん低下するということです。その結果、投下した資本の蓄積は増大するけれど、労働者にマネーは回らず、貧窮することになる。マルクスが観察した19世紀半ばの英国経済は恐慌にたびたび襲われていたので、リアリティがあった。

 マルクスによれば、やがてこの資本主義の矛盾が激化し、労働者が決起して資本家の富を収奪する。これが『共産党宣言』に書かれていた労働者の政府による「国有化(社会化)」です。こうして資本主義は崩壊するはずで、その後には社会主義が訪れるというのです。