1階に下りる階段の踊り場に、写真が数枚飾ってあった。工場のフロアで政府高官に工場長が説明をしている写真。その隣には、小柄な老人が社屋の前でその高官と握手をしている写真もあった。健太は写真の老人に見覚えがあった。

〈あれは確か瀬戸前会長だったな。なぜ彼の写真がここに飾ってあるんだろう?〉

 1階の工場部分は100メートル四方のだだっ広い空間で、ほぼ真四角な構造をしていた。入口から入ると、各部品を生産する場所があり、薄暗いエリアには材料がうず高く積まれていた。その先を50メートルほど進むと、今度は組立ラインのエリアがあり、電気が煌々と灯って一気に明るくなった。

 組立ラインは3つ。手前は開発用のラインだが、稼働していない。その先2つのラインはフル稼働しており、各ラインに30名ほどの作業員が張りついて持ち場の作業を行っている。ラインの最終工程では2~3名が検査を行っており、検査済みの製品が出荷用の梱包に回されていた。

 壁には、「整理」や「整頓」と大きく書かれた張り紙がしてあった。日本の5Sのスローガン(整理・整頓・清掃・清潔・躾)がここにも浸透しているようだ。

 もっとも、そのようなスローガンとは裏腹に、現場の整理・整頓が行き届いているかというと、疑問だ。床にゴミなどは落ちておらず、きれいに清掃してある。しかし、ライン脇には各パーツが置かれており、その横には組み立てに失敗したと思われる捻じ曲がったチューブや、ライン検査に通らなかった半完成品が無造作に積み上げられている。また、床に区画の線が引いてあるものの、そこからはみ出して機械やパレットが置かれており、動線が確保されているとは言いがたい。

瀬戸顧問、登場

 健太は、これらの生産ラインがなぜ高い不良率を出しているのかを推測しようとした。しかし、生産の専門家でもない健太がパッと見ただけで問題点を把握できるほど甘くはない。横でスティーブが「この生産ライン、どう思うかい?」と尋ねてきたが、健太はどう答えてよいのかわからず、ただじっとラインを見つめるだけだった。

 作業員はまめまめしく作業に没頭している。時折、楽しげな会話が聞こえるが、決してサボっているわけではない。見れば見るほど、どこが悪いのか、健太にはさっぱりわからなかった。

 生産ラインの傍でしばし佇んでいた健太は、3名ほどの集団が工場入口の暗い通路をやってくるのを目にした。まっすぐに健太がいる生産ラインの区画に歩いてくる。

 スティーブはその集団に向かって手を挙げると、足早に歩いていった。

 その中の1人は、先ほど写真で見た瀬戸本人だった。その脇には作業着を着た初老の男性が歩いており、後ろには若い女性が続いていた。

 瀬戸は健太に近寄ってくるなり、話しかけてきた。

「君が丸山君かな。顧問の瀬戸です。東京からはるばるご苦労」

 瀬戸晴彦は、背丈は165センチほどと小柄だが、がっちりした体つきをしている。合気道の名手だと聞いたことがある。健太が入社したときの会長だが、今は顧問に就任しているようだ。小城山の創業家から出た最後の社長だったが、社長8年・会長4年と務め上げ、あっさりと表舞台から退いたのだった。社長在任中は、中堅電機メーカーの小城山製作所を売上5000億円の大企業に押し上げた立役者だ。当時の瀬戸は相当のキレモノとして知られ、鋭い眼光もあいまって荒鷲に例えられていたと、柳澤から聞いたことがあった。しかし、今改めてその姿を見ると、表情はかなり温和になっている。