3つ目の新製品開発にも大きな進展があった。これまでは開発、生産、営業の連携がうまく取れず、開発部門が静音ルームを使える時間がごく限られていた。そこで、スティーブが部門間の調整を行い、必要な時間を振り分けたのだ。さらに、設計面の改善も進んだ。従来の設計では、冷却性能を高めるためにチューブを大幅に長くしていた結果、複雑な形状のチューブが小型化されたシェルの中で周囲に接触し、騒音が発生していたのである。これを解消するために、山田らは本社から派遣された2名の技術者と協力し、チューブの長さと冷却性能のバランスを調整し、チューブの形状を変更することで、顧客から求められている静音水準をクリアする目途をつけることができた。

 健太がこれらの成果を本社に報告すると、海外事業部の見方が少しずつ好意的になってきたことが感じられた。今後も、良くなりかけたKPIが引き続き改善傾向にあることを継続的に見せる必要がある。


 その一方で、当面の資金確保は綱渡りの状態が続いていた。資金を少しでも確保しようと、まず営業部門が率先して売掛金の早期回収に努めていた。顧客の反応は必ずしも好意的ではなかったが、スティーブが直接コンタクトして銀行の事情などを説明すると、彼らも他人事ではないと思ったのか、態度を軟化させ、早期の支払いを承諾してくれるところが増えていった。

 一方、サプライヤーに対する支払いの延期は困難を極めた。サプライヤーの多くは資金繰りが厳しく、どこも自転車操業だ。小城山上海からの支払いが滞れば、給料も払えなくなるような会社がいくつもあった。ウェイはサプライヤーとの付き合いが長いため、交渉の勘所をよく心得ており、ギリギリの線で話をつけることに成功した。結果として、ほぼすべてのサプライヤーから、部品の納入を止めずに支払いを1ヵ月待ってもらうという合意を得ることができた。

 さらに、資金繰りの改善において大きな効果をもたらしたのは、クランクケースの生産設備の売却と、その生産のアウトソースだった。麻理が提案したこのアイディアは、製造コストを5パーセント引き下げるだけでなく、資産の売却による資金確保をもたらし、資金繰りで一息つくことができたのである。

 これらの取り組みによって、小城山上海は向こう3ヵ月間の資金を確保することができた。

 もっとも、この3ヵ月という限られた時間の中で、健太たちは黒字化の目途をつけ、さらに業績改善の効果を出し、小城山本社からの支援を取りつけなければならなかった。

 資金問題に束の間の余裕ができた頃、麻理がスタンフォード大学ビジネススクールに入学する時期が訪れた。空港まで見送りに行った健太は、麻理と次に会うときまでに小城山上海を再生することを約束し、お互いの健闘を祈った。

調達責任者ウェイの更迭

 麻理が去った後も、健太たちは業績改善の取り組みをさらに加速させていた。赴任から4ヵ月ほど経った10月半ばのある朝、健太はいつものようにモデルラインの稼働状況を確認すると、スティーブのオフィスに立ち寄った。すると、ダークスーツを着込んだ3人組の男性がちょうどGM室から出てくるところだった。

「スティーブ、おはようございます。何だか浮かない顔をしていますね」

「あぁ、健太か。どうぞお入り」