「幸せ食堂」繁盛記
【第八回】 2015年7月23日 野地秩嘉

築地の“一番いいところ”を伝える
家族経営が心地よい人気の飯処

築地に魚の旨い店は数あれど……

 場内、場外を問わず、いまや築地市場は原宿の竹下通りのような観光地になっている。全世界からやってきた人々が新しくできた寿司屋、すしチェーン店、まぐろ卸売店、土産物店に群がっている。

 はっきり言うけれど、わたしはそういうところには行かないようにしている。観光地にある観光客だけをターゲットにした店の商品は一度買ったら、二度は買わないものがほとんどだ。だから、築地へ行ったら、そういう店は素通りして、昔から営業している店、市場で働く人がいつも使っている店を目指した方がいい。

 多け乃食堂は昭和15年にできた。築地市場のすぐ近くにある食堂で、客の主体は市場で働く人、そして、近隣のサラリーマンである。出しているものは市場で仕入れた鮮魚を使った料理、加えて食堂の定番とも言える玉子丼、カツ丼などだ。

 主人は49歳の曾野田啓祐(そのだけいすけ)。モヒカン刈りというアナーキーな髪型をしている人だけれど、荒々しい性格の持ち主ではない。

「いきつけの床屋さんがやらせてくれというのでモヒカン刈りにした」とのこと。他人の依頼を断り切れない、おだやかな性格の人である。

 曾野田の話。

「築地市場が開場したのが昭和10年で、うちはその5年後に甘味屋として出発しました。戦後、市場が再開した後、食堂に変わり、当時は焼き魚や刺身の定食、チャーハンなどを出すようになったのです。一時はラーメンもやってました。当時のお客さんは市場で働く人だけ。近年は銀座、丸の内のサラリーマンの人、そして、グルメサイトを見た人たちがやってくるようになりました。いまは居酒屋のようなメニューが増えてます」

 客席は1階と2階に分かれている。メニューは壁に貼りだしてあり、2段になっている。上段にはカツ丼780円、チャーハン580円、ソース焼きそば450円、手作りポテトサラダ300円。オムレツ500円といった定食屋のメニューが並んでいる。

 下段には、まぐろ、かわはぎ、あいなめなどの刺身、かます塩焼き、さば塩焼き、かれい煮といった焼き物、煮物メニューが書いてある。なかには「のどぐろ、きんき」といった高額メニューもあるが、それを取らずに、定食メニューと魚を一品もしくは2品ならば勘定は庶民的な額でおさまる。

 定食メニューのなかで、他店とはひと味違うのが手作りポテトサラダと豚肉天ぷら700円だろう。ポテトサラダは昭和の頃の家庭の味だ。ソースをかけて食べると、ますます昭和の味になる。豚肉天ぷらは薄い豚肉を揚げたものではなく、酢豚に入っている肉のような、豚肉の塊だ。普通は豚肉天ぷらを単独のおかずとして、ご飯を食べるわけだが、わたしはこれをサイドディッシュにして、メインにはカツ丼を据えたい。豚プラス豚で攻めの食事にしたい。きっと、むやみに元気が出るだろう。

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野地秩嘉 1957年東京都生まれ。早稲田大学商学部卒業。出版社勤務、美術プロデューサーなど を経て、ノンフィクション作家に。食や美術、海外文化の評論、人物ルポルタージュ など幅広く執筆。近著に、「TOKYOオリンピック物語」「イベリコ豚を買いに」「打 ち合わせの天才」「アジア古寺巡礼」「アジアで働く いまはその時だ」など。


「幸せ食堂」繁盛記

この連載は、味がよく、サービスも悪くなく、値段はリーズナブルで、しかも、できればハイサワーやホッピーを置いている店のグルメガイドだ。ここで紹介される店は、金持ちの社長やグルメ評論家はまずいない。著者は、そういう店を「勤労食堂」「国民酒場」と呼ぶ。そこでは客が微笑しながら食べている。ほほえみながら食べている人と一緒にいることは至福だ。人生の幸せは勤労食堂もしくは国民酒場にある。

「「幸せ食堂」繁盛記」

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