リベラルな哲学者、鶴見俊輔の訃報は、さすがに各紙が載せていた。右派メディアも、その存在を無視できなかったのである。

 私にとって鶴見は「近くて遠い人」だった。学生時代からその本は読んできたし、「ベ平連(ベトナムに平和を!市民連合)」の運動でも、その姿を見かけてきた。しかし、個別に会ったのはずいぶん後である。鶴見の主導した『思想の科学』で経済小説の特集を組みたいという電話をもらって、御茶の水の山の上ホテルへ出かけた。驚いたのは、いろいろ話しているうち、スーッと鶴見が受け答えしなくなったことである。自分の世界に入ってしまって反応がない。

 しばらく待っていたら戻って来た。ハハア、これが知る人ぞ知る鶴見の精神遊泳かと思った。頭の回転の速い人は、そうなることがあるらしい。

「自由主義者の試金石」とか、鶴見の評論で忘れられないものは多いのだが、私は「誤解する権利」といった小論も好きである。「誤解する権利」とは、鶴見らしい盲点を突く指摘ではないか。

日常の暮らしの中に思想を発見する人

 鶴見と『現代日本の思想』(岩波新書)という共著を書いているわが師の久野収が亡くなった日、偶然、伊豆高原駅で一緒になり、久野宅へ向かう車の中で、私は鶴見に二つのことで礼を言われた。

 一つは『久野収集』(岩波書店)全5巻を編集したことであり、一つは落合恵子と共に『岡部伊都子集』(岩波書店)全5巻を編集したことである。いずれも自分がやらなければならなかったことと鶴見は思っていたのだろう。

 1996年4月5日、京都で開かれた「岡部伊都子集出版を祝う集い」で、鶴見はこうスピーチした。

「たとえば、ラジオのスイッチをひねって、
 ♪恋はやさし野辺の花よ
 と申しますが、恋はやさしいものでしょうか――

 この言葉がスーッと耳に入ってきたら、びっくりするでしょう。道を歩いていて、この言葉がとびこんできたら、やはりびっくりすると思うのです。その日一日忘れないし、あるいはもっと長い間、一生耳に残るかもしれませんね。こういう文章を400字の原稿2枚に書き続けて2年半、それが岡部さんの出発点だったのですね」

 このラジオ・コラムをまとめた『おむすびの味』から岡部は歩き出した。