アラブ 2015年8月3日

教えて! 尚子先生
アルカイダとは何ですか?
【中東・イスラム初級講座・第26回】

2001年のアメリカ同時多発テロ事件(9・11)以降、世界中の注目を集めたアルカイダとその創始者であるウサマ・ビン・ラーディン。なぜイスラム原理主義はこれほどまでに拡大していったのか。今回は、アルカイダを例に、中東研究家の尚子先生がわかりやすく解説します。

前回はイスラム原理主義と貧困との関係について説明しました。今回は産油国のいわゆる「豊かな国」での原理主義の拡大について、アルカイダを事例として説明してみたいと思います。

 なぜなら、アルカイダの創始者はウサマ・ビン・ラーディンですが、彼はサウジ・アラビアの富豪の家に生まれているためです。つまり、彼は貧困とは対極にあったといえるでしょう。今回は、彼の足跡をたどりつつ、アルカイダが形成された思想的な背景について、そしてその目的や特徴についてもふれてみたいと思います。

サウジ王室と結びついたウサマ・ビン・ラーディンの父

 ウサマの父はイエメンの貧しい家庭の出身です。けれども、彼は1930年代にサウジ・アラビアに移住したのち、人夫から建設業を起こし、王室ご用達の建設業者となった人物でした。彼はメッカやメディナでのモスクの修理を請け負うほどサウジ王室とも深い関係にあり、一代で財閥を築きました。

 ウサマはその10番目の妻の長男として生まれました。当時のサウジの有力者たちは、自らの人脈をさらに確実なものとするために、有力な部族の娘を娶っては子どもをもうけ、離婚を繰り返すのが普通で(日本の戦国時代の武将を思い起こしていただければ想像しやすいでしょう)、ウサマには21人の義理の母と55人の兄弟がいたそうです。

 ウサマが生まれた直後に、ウサマの母は離婚してすぐに再婚したため、ウサマはラーディン家ではなく、母の次の嫁ぎ先であるアッタス家の長男として、敬虔なワッハーブ派(スンニ派のうちの一派)の家で育てられました。

 ウサマは世俗的な教育を受けましたが、彼がイスラム原理主義思想を吸収していったのは大学生の時でした。彼はジッダのキング・アブドゥルアズィーズ大学の経済学部で学んでいましたが、実際はコーランやジハードの研究に没頭していたそうです。

 当時のアブドゥルアズィーズ大学では、エジプトから亡命したイスラム原理主義の論客である、アブドッラー・アッザームが教鞭をとっていたため、イスラム原理主義を学ぶのにはうってつけだったのです。そして、ウサマはアッザームを師とあおぎ、ムスリム同胞団にも入団していたといわれています。

 アッザームらイスラム原理主義者らは、母国エジプトが、当時、ナセル大統領(大統領任期:1956~1970年)の支配下にあったために、厳しい弾圧にさらされていました。そのため、サウジ・アラビアは無神論者である共産主義者(ナセルを指す)に対峙するイスラムの守護者として、多くのイスラム主義者の亡命者を受け入れていたのです。そして、こうした亡命者たちが大学や高校の教師として教鞭をとっていたのでした。

 ウサマが興味を持ち、のちのアルカイダを作る際の基礎となったジハード論において、ウサマだけでなくその後のイスラム原理主義者たちに多大なる影響を与えた人物が、この時期のエジプトのイスラム原理主義者の中に存在していました。それはサイイド・クトゥブ(1906~1966年)という人物です。

ウサマに大きな影響を与えたクトゥブのジハード論

 クトゥブについての説明をはじめる前に、ジハード論について、少し歴史的に説明をしておきます。ジハードという言葉は以前に、「奮闘」とか「努力」という意味ですと説明しました。初期のイスラムが拡大していく時期以外で、ジハードという言葉が用いられたのは、13世紀のモンゴル人による襲来によって、イスラム王朝であるアッバース朝が滅ぼされた際であったいわれています。

参考記事:「コーランには何が書いてあるのですか?」

 モンゴル人は征服ののちにシーア派に改宗し、ムスリムとしてアッバース朝(スンナ派)の支配にあった地域を統治したのですが、イスラム法(シャリーア)に則った統治ではありませんでした。その統治方法に対して、イブン・タイミーヤという人物が、スンナ派のイスラム法による支配を行なっていない統治者は、いくら改宗したとはいえども背教者にすぎず、「ジハード」を行なう対象となりえると訴えたのでした。

 つまり、これまでジハードはイスラム教徒が異教徒に行なうものであったのに対し、タイミーヤは同じイスラム教徒であったとしても、イスラム本来の信仰に従わない腐敗した為政者は「ジハード」の対象となると論じたのでした(そのため、「内部ジハード論」とも呼ばれる)。

 このイブン・タイミーヤの思想をうけ、ジハード論を発展させたのが、サイイド・クトゥブだったのです。クトゥブはナセルによる弾圧が激しくなる中で、より暴力的に「ジハード」論を唱えたといっても過言ではないかもしれません。彼は世界が善と悪、神の世界(イスラム)と悪魔の世界(イスラム以前の世界:ジャーヒリーヤ)の二つに分類されていると考えていました。

 そして、腐敗して信仰心のないエジプト政府や、ソ連、欧米諸国が行なっている不正や抑圧に対して、イスラムは防衛のための闘争「ジハード」を行なわなければならない。「ジハード」こそが、新しいイスラム秩序を構築する方法であり、「ジハード」は真のムスリムの義務であると論じたのでした。ウサマはこうしたジハード論に強く影響を受けたとインタビューで述べています。

列柱大通り=パルミラ, シリア【撮影/安田匡範】

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橘 玲(Tachibana Akira) 作家。1959年生まれ。早稲田大学卒業。「海外投資を楽しむ会」創設メンバーのひとり。著書に『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』『(日本人)』(幻冬舎)、『臆病者のための株入門』『亜玖夢博士の経済入門』(文藝春秋)、『黄金の扉を開ける賢者の海外投資術』(ダイヤモンド社)など。
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