先進国への仲間入り――GATT、IMF、OECDへの加入

 また池田の経済政策は、国内政策だけでなく、外交面にも及んだ。池田は「一流の経済立国」に必要な外交面での課題に次々と取り組み、その結果「GATT11条国への移行」「IMF8条国への移行」「OECDへの加盟」という、先進国への“大人への階段”を、一気に駆け上ったのだ。

 まず取り組んだのは、GATT11条国への移行。GATT(関税と貿易に関する一般協定)とは「世界の自由貿易の守り神」的な協定で、その12条国が保護貿易の許される“途上国扱い”の国々、そして11条国が世界に向けて市場を開かないといけない“先進国扱い”の国々だ。

 日本は「戦後弱者」として、今まで12条国の地位に甘えていた。でも一流国になるためには、過保護な坊やのままではいけない。11条国になれば、外国製品に日本市場を荒らされるリスクも生まれるけど、逆に日本製品を優秀にして外国にガンガン売るチャンスも広がる。

「野党の連中は自由化を『黒船来航だ! 欧米支配の始まりだ!』と騒ぐけど、俺のこれまでの努力を見ろよ。俺はちゃんと国内政策で、いいモノを作れる基盤は整えてきてるぞ。最近はアメリカも『市場を開け』と言ってきてるし、ヨーロッパもうるさい。やっぱここは開かないと損だ」

 池田はそう考えて「貿易為替自由化計画大綱」を発表し、段階的に自由化枠を拡大させた後、1963年、日本をGATT11条国へ移行させた。

 次に取り組んだのは、IMF8条国への移行だ。IMF(国際通貨基金)は「世界の通貨体制の守り神」的な組織で、その一四条国が通貨交換の制限が許される“途上国扱い”の国、そして8条国がそれを認めない“先進国扱い”の国だ。

 日本はこれまで14条国として、企業が輸入の支払いでドルが必要になっても、通産大臣がなかなか許可を出さず、結果的に通貨交換を厳しく制限してきた。これを「為替割当制度」という。

 これさえやれば、日本から海外への支払いが減り、貿易赤字の拡大を防げる。しかし、同時に貿易のジャマにもなる。ちょうどIMFから「そろそろ日本も大丈夫でしょ?」と打診されていたし、IMFと弟分のIBRD(国際復興開発銀行。俗に“世界銀行”)からは、戦後復興資金を借りまくった恩もある。

 また、日本が反撃に転じて輸出攻勢に出るためにも、為替は自由化されたほうがいい。
 ならここは思い切って、為替割当も廃止するか――池田はこう考えて為替割当を一部除いて廃止し、1964年、日本をIMF8条国へと移行させた。

 さらに日本は、これらの移行で先進国と認められ、同年、IMF8条国入りと同時に「OECD(経済協力開発機構)」への加盟も認められた。OECDは西側先進国だけで作られた“先進国クラブ”だ。世界経済の成長目標や途上国へのODA配分目標などが話し合われる。日本はここに、アジアから初めて加盟を認められ、これで三役揃い踏み、日本は晴れて先進国の仲間入りをした。

 池田勇人はこのように、日本が一流の先進国になるための基盤づくりに大いに貢献した“経済の人”だったが、同時に名言・失言・暴言の多い“一人名言bot”みたいな人でもあった。

貧乏人は麦を食え」「中小企業の5人や10人自殺してもやむを得ない」――これらは池田の国会発言が曲解されて新聞報道された失言だが、所得倍増計画の説明では、その暴言吐きのイメージを逆手に取り、嘘のつけない正直な首相という体で「私は嘘は申しません」の名言を残した。

 よく考えると、そもそも「所得倍増計画」そのものがその年の流行語だし、他にも「寛容と忍耐」なんていうのもある。本当にツイッター向きの人だ。