超高齢社会を支えるために最も大事なのは経済成長だ

 7月30日、厚生労働省は、わが国の2014年の平均寿命を公表した。それによると女性は86.83歳(前年より0.22歳の伸び)で3年連続の世界1、男性は80.50歳(0.29歳の伸び)でシンガポールやスイスと並んで3位タイだった(1位は香港、2位はアイスランド)。一方OECD諸国の医療費対GDP比率を見ると(2013年)、日本は10.2%で、G7の中では米国、ドイツ、フランスに次ぐ4位となっている。つまり、先進国の中では中位のコスト(医療費)で、ベストのパフォーマンス(長寿)をあげているのだから、わが国の皆保険制度は(少なくともこれまでのところは)優れた仕組みであると評価していいだろう。

健康寿命の延伸がポイント
そのためには定年制の廃止を

 ところで、平均寿命が延びたことを手放しで喜んでいいわけではない。人間の尊厳の一番シンプルで分かりやすい定義は「自分でご飯を食べて自分でトイレに行けること」である。つまり健康寿命がより重要なのだ。「ベッドの上で点滴を受けて生き永らえて人生に何の意味があるのだ」と欧米人は言うが、その通りだと思う。

 2013年のわが国の健康寿命は男性が71.19歳、女性が74.21歳であったので、介護期間(平均寿命-健康寿命)が、男性は9.31年、女性は12.62年あるということだ。少子高齢化が進み労働力の不足が深刻化しつつある日本で、十分な介護スタッフをこれからも確保していくことは容易なことではない。そうであれば、超高齢社会であるわが国にとって最も急を要する政策課題が、「健康寿命の延伸」にあることは自明であろう。

 では、どうすればいいのか。医療関係表は異口同音に「健康寿命を延ばすには働くことが一番だ」と口を揃える。当コラムでも述べたことがあるが、それには定年制の廃止が1番有効だ。60歳もしくは65歳などの誕生日が来たということで、能力も意欲もあるのに職を奪われることほど非人道的な制度はあるまい。われわれもアングロ・サクソン社会のように、年齢フリーの社会を創ってはどうか。履歴書には年齢欄はない、採用面接で年齢のことを尋ねるのは違法である等、既に立派な先例があるのだからそれを真似ればいいだけの話である。

 戦後の日本のように人口ピラミッドがきれいな三角形をしており、若者が大勢いた社会では、「一律に敬老精神を発揮する」こと(一定年齢で全員に公的年金を支給し、医療費等を安くする等)は、それなりの合理性を有していた。しかし、超高齢社会に突入した現在では、「一律敬老原則」を捨てて、政府本来の役割、つまり、公共財・公共サービスの提供とは何かという本質に立ち戻り、「年齢フリー」かつ「貧窮原則」を新たに打ち樹てるべきではないか。本当に困っている人に集中して給付を行うことこそが政府本来の役割なのだ。