戦後最年少で真打に昇進

 通常は前座を4年ほど務め、師匠からある程度実力を認められると、二ツ目となりますが、花緑さんの場合は、2年半で二ツ目となりました。

 二ツ目になると、前座修業からは解かれ、一人前の落語家として寄席や落語会などに出ることができます。また、他の師匠から落語を教わる「出稽古」もできるようになります。

 花緑さんは18歳で二ツ目となったわけですが、自分らしい落語を模索した苦しい時期だったそうです。

「前座時代と大きく変わったのは、ただ習った通りに喋るのではなく、『まくら』(導入のフリートーク的な部分)をやり始めたことです。自分らしさを入れようとギャグを入れ過ぎては脱線し、よく師匠から叱られました」

 自分らしさを追い求めるあまり、「自己啓発書を読み漁ったこともあった」そうですが、今まで読まなかったさまざまな本を読み、勉強し始めた時期でもあったようです。

 自分らしい芸を見つけようと、試行錯誤しながらも、着実に人気と実力を身につけ、4年半後の22歳で戦後最年少、31人抜きで真打に昇進します。もちろん、人気、実力共に認められての大抜擢だったわけですが、本人にとっては、さらに苦しみが増す結果となりました。

 落語の場合、二ツ目昇進も、真打昇進も、試験など明確な基準があるわけではありません。スピード昇進について、ご本人は「落語協会会長だった祖父の力」と言い切りますが、当然面白いと思わない人も出てきます。

「真打になってもどん底の気分でした。だんだん自分を客観視できるようになってきていたので、小さんの孫という重圧に押しつぶされそうでした」

 この経験が後に落語に生きることになるのですが、表向きはちやほやされる一方、陰では嫌味を言われたり、嫌がらせを受けたりしたこともあり、当時は辛かったそうです。

 そんな重圧から徐々に解放され、自分を取り戻すきっかけとなったのが、実家を出て1人暮らしを始めたことでした。

「実家が師匠の家だったので、23歳で真打となり、家を出た時は嬉しかったです。今思い返すだけでも嬉しい気分が蘇ってきます」