教えることは学ぶこと

 真打になると、弟子を取ることができます。花緑さんが最初に弟子を取ったのは、28歳の頃。落語家の弟子は募集してやってくるわけではなく、弟子の方から師匠を選んでやってくるもの。ある日、寄席が終わった後に「弟子にしてほしい」という若者が現れたのです。

 花緑さんが、弟子を取ることについて小さん師匠に相談すると、「取りなさい。教えることは学ぶことだから」と即答されたそうです。弟子を取ると、交通費、食事代から着物まで、全て面倒を見るため、「当時は僕もお金がなかったので大変でした」

 最初のうちは選ばずに弟子を受け入れていましたが、今は弟子を取る際の基準がしっかりあると言います。その基準は、ずばり“気に入るかどうか”。

落語家の師匠と弟子との関係は、先生と生徒ではなく、むしろ親子、家族に近い関係です。また、落語家になるというのは、『落語家という仕事を選ぶ』のではなく、『落語家という生き方を選ぶ』こと。半端な覚悟では困るんです」

 その覚悟や人柄を見極めるためにも、会って話すだけでなく、必ず手紙を書かせているそうです。

 また、弟子を取った当初は教え方もわかりませんでした。そのため、弟子に怒鳴ってばかり。「いつも小言ばかりで、弟子は委縮してますます失敗を繰り返す。悪循環でした」

 弟子が3人、4人と増えていくにつれ、怒ることと教えることは別だ、と考えるようになり、ほめることもできるようになってきたそうです。その頃から、誰かから聞いた「弟子は師匠なり」ということを実感するようになり、それが、いつしか小さん師匠の「教えることは学ぶこと」という言葉とつながります。

「五代目柳家小さんには40人の弟子がいました。ということは、祖父には40人の師匠がいた、ということになります。そして、教えることが学ぶことなのであれば、祖父は40人の弟子から何かを学んだ、ということになります。そのことに気づいた後は、弟子との時間は貴重な時間であり、もっと教えることにしっかり向き合わなくては、と思うようになりました」