経済学はサイエンスであり思想とは無縁なのか?
小宮、宇沢…日本にも気骨のある経済学者はいた

佐和 面白いのは、ガルブレイスが1972年にアメリカ経済学会の会長に選出されたときのエピソードです。ケインズ派か新古典派かという分類でいえば、1970年代当初はケインズ派が優勢な時期、ガルブレイス(制度学派)よりもっと左のラディカル・エコノミックスが学界を席巻していた時期でした。

 新古典派の泰斗ミルトン・フリードマン(1912-2006)が、「ガルブレイスと同じく制度学派であり、その元祖だったソースタイン・ヴェブレンですらアメリカ経済学会会長にはなれなかったのに、ガルブレイスを会長に選ぶのは筋違いだ」との私見を披露すると、ラディカル派経済学者たちは「ヴェブレンを会長に選出しなかった過ちを2度と繰り返さないためだ」とやりかえしたそうです。時代の逆風にめげずフリードマンが孤軍奮闘さながら保守派経済学者としての立場を貫き通したのは、いかにもアメリカならではの感ありですね。

スティグリッツもクルーグマンもピケティも…<br />経済理論を根底で支える思想史を理解し<br />旗色を鮮明にして主張することで経済政策は深化坪井賢一

坪井 ガルブレイスにしろ、フリードマンにしろ、生涯を首尾一貫した経済思想で通したわけですね。日本ではどうですか。

佐和 日本の経済学者の多くは「経済学は思想とは一切無縁なサイエンスである」と思っている節がある。

坪井  なるほど。たしかにマルクス経済学ですらそうですね。

佐和 そのうえ、経済学の流行り廃りに対して極度に敏感で、経済学の流行り廃りを「進歩」だと勘違いしている。ですから、日本の経済学者にも是非、坪井さんの本を読んでもらい、経済学の理論を水面下で支える思想構造の所在を見極めて欲しいですね。

 学者に限らず、政治家、官僚、経営者にも読んでもらいたい。安倍(晋三)首相は「アベノミクス」と称する一連の金融政策、財政政策、成長戦略などを展開なさっておられますが、アベノミクスの背景にどんな思想構造があるのかについては、黒田(東彦)日銀総裁をはじめ政策運営の舵取りをなさっておられる方々も含めて、ほとんど意識されていないと思われます。

坪井 日本は昔からそうだったのでしょうか。

佐和 そんなわけではありません。たとえば小宮隆太郎さん(1928-)は、1960年代初頭、マルクス経済学者が打ち出す国家独占資本主義という観点を批判して、新古典派の立場から「日本に独占は存在しない」と主張して、当時の主流派であるマルクス経済学に一矢を報いました。その主張は一貫しており、八幡・富士製鉄(現新日鐵)の大型合併に対しても反対の狼煙を上げました。宇沢弘文さん(1928-2014)はシカゴ大学から帰国後まもなく、左派の立場から「自動車の社会的費用」と題する岩波新書で、自動車文明を徹底的に批判しました。このように、昔は、経済学者もみずからの思想に基づいて時の権力を批判することがあったのですが、昨今、経済学者の批判精神は萎縮してしまったかのように見受けられます。

坪井 佐和先生はアベノミクスを国家資本主義だ、と批判されていますね。確かに、日本経済団体連合会の幹部を呼びつけて賃金を上げろなんて、自由主義国とは思えない。漫画みたいです。左側の社会民主主義どころか、国家資本主義だというご意見ですね。

佐和 国家社会主義と言ってもいいのではないでしょうか。

坪井 そうですね。1番左のような社会民主主義がグルっと回って、1番右とつながっている感じです。

佐和 自民党政権のカウンターパートになるとすればリベラルでしょう。民主党がリベラルの旗色を鮮明にするべきだったのですが、民主党の政治家もまた、みずからの立ち位置というか自民党との思想的な差異化を意識していないのではないでしょうか。

 リベラルという政党名を掲げていながら、徹底的なリベラル政策を主張しなかったですね。