まずお断りしておくと、何を隠そう、この僕自身も灘高校・東大法学部の卒業生である。学生時代はそこそこ勉強ができたし、「自分は頭がいいのかも……」と思ったことが一度もないと言えば嘘になる。
そんな僕も大学卒業後に、広告代理店の博報堂や戦略コンサルファームのボストン コンサルティング グループ(BCG)で働く中で、いやになるほど敗北を味わった。

BCG・博報堂で考えてきた「敗北の本質」

思えば、博報堂の入社試験の段階から、僕の敗北は始まっていた。

「キヨスクのおばちゃんに日本国憲法を読ませるセールストークを50文字以内で書け」

ペーパーテストではこんな問題が出された。自分の解答にそれなりの手応えを感じていた僕は、入社後の飲み会で人事担当の方に「あの解答、どうでしたか?」と尋ねた。
すると、人事の彼は「ああ、あれね。0点」と言い放ったのである。僕が耳を疑っていると、バッチリと目を合わせながら「れ・い・て・ん」と念を押される始末だった。

それ以来、「なぜ自分が負けたのか?」「なぜ相手が勝ったのか?」を考える機会が、僕には幾度となくあった。

その結論としてたどりついたのが、まもなく発売される最新刊『あの人はなぜ、東大卒に勝てるのか』のサブタイトルにもなっている「論理思考のシンプルな本質」である。

学歴の壁を突破してライバルに勝ちたいという人、そして、学力はあるのに仕事で敗北を味わい続けている(かつての僕自身のような)人に役立つことばかりを、この一冊にまとめたつもりだ。

では、どうして僕たちは発想で勝ったり、負けたりするのだろうか?
演習問題を用意したので、まずチャレンジしてみてほしい。
それでは、よーい、スタート。

仕事ができない高学歴にも「バカの壁」が付きまとう
 

「ゼロベース思考」は単なる理想論である

さて、演習問題はどうだっただろうか?

答えを見つけるまでに、どのくらい時間がかかっただろうか?
1分? 30秒? 15秒?

だとしたら残念ながら、時間がかかりすぎだ。

思考力がある人なら1秒あれば十分だ。
スタートからゴールまでを直線で結んでしまえばいいからである。

問題文にはあれが迷路だとはひと言も書かれていない。だから、律儀に特定のルートをたどる必要などないのだ。

少々意地悪な演習だが、「先入観なしに思考するのは難しい」という話をする際に、よく引き合いに出される類の事例である。
もしかしたら、以前にほかの本や研修などで、この演習をやった経験があるかもしれない。そういう人はスタートからゴールまでを直線で結んだだろうが、それもある意味では既存の知識に基づく発想である。

ビジネスにおいては、この種の思い込みを排除した考え方、いわゆる「ゼロベース思考」が必要だと言われることがある。知識や経験、常識にとらわれると、視野が狭くなってしまうというわけだ。

しかし、僕の経験から言えば、ゼロベース思考を実行に移せる人はほとんどいない。

また、「ゼロベースで考えろ=常識にとらわれるな」というメッセージだと受ける人がいるが、これは実際のビジネスにとってはかなり有害である。
ビジネスの世界には「有益な常識」もたくさん存在するから。先輩方が築いてきた経験や知識を無視するのは、時として変革につながるが、たいていは現場の混乱を招くだけだ。

とはいえ、そうした思い込みが、発想を広げる妨げになっているのは事実だ。
では、僕たちが気をつけるべき思い込みとはどういう性質のものであり、どうすれば回避できるのだろうか?

孫悟空が見落としていた2つのこと

一旦、迷路のはなしを離れよう。次に考えたいのが、『西遊記』のエピソードである。暴れザルだった孫悟空が、お釈迦様にケンカを売る場面をご存知だろうか?

觔斗雲を手にした悟空は、「俺は宇宙の果てまでも飛んでいけるんだ」と豪語する。お釈迦様が「ではやってみなさい」と答えるや否や、悟空はものすごいスピードで觔斗雲を飛ばし、宇宙の果てを目指す。
ずいぶん遠いところまで来て「もうそろそろいいだろう」と思っていると、目の前に巨大な5本の柱が立っていたので、悟空はそこに自分の名前を書く。

戻ってきた悟空にお釈迦様は「お前はどこまで行ってきたのですか?」と聞き、悟空は得意万遍の笑みを浮かべて「宇宙の果てまで行ったんですよ」と答える。すると、お釈迦様は「お前が行ってきた宇宙の果てというのは、これのことですか?」と言って、自分の指を見せるわけだ。

そこに見覚えのある名前が書かれているのを目にした瞬間、初めて悟空は気づく。自分はお釈迦様の身体のまわりを飛び回っていただけで、その外の世界には一歩も出ていなかったのだ、と。

発想がある一定のところから広がっていないとき、僕たちは孫悟空とまったく同じような状況にある。その特徴は、2つのことに気づいていないということだ。

(1) 限られた範囲の「内」を考えている(飛んでいる)ことに気づいていない
(2) その範囲の「外」があるということに気づいていない

迷路の例に立ち戻れば、こういうことになる。

(1) 「これは迷路である」という前提の下で考えていると気づいていない
(2) 「これは迷路ではない」という前提の下でも考えられると気づいていない

当然のことながら、この2つの無自覚の状態というのは表裏一体である。つまり、自分のいまの思考の範囲を意識していないからこそ、(1)ある範囲の「内」だけを考えていることにも気づけないし、(2)その範囲の「外」が存在するということにも気づけないのである。

どんな思考にも、この「無意識の空白」がある。より正確に言えば、意識されていないのだから、「そこに空白がある」ということにも気づかない。

バカとは「自分のバカさ」が見えていない状態

こうした事態を引き起こすものの元凶に、解剖学者の養老孟司さんは見事な名前をつけている。
500万部を超えるベストセラーのタイトルにもなった「バカの壁」である。

仕事ができない高学歴にも「バカの壁」が付きまとう

「壁」というのは、思考の対象になっている範囲(こちら側)となっていない範囲(向こう側)とを隔てるもの、「バカ」というのはその壁が「見えていない・意識されていない」ということを意味している。

前回の連載で「アイデアにおける敗北」には3つのパターンしか存在しないという話をした。そこで確認したとおり、思考力での挽回が可能なのは「しまった」による敗北である。

【第1回】
“ヒット商品が出ない人”に共通する「しまった!!」の敗北とは?

競合に先を越されて「しまった」を味わうとき、必ずそこには思考のモレを引き起こす「バカの壁」が存在している。
つまり、質の高いアイデアを出すためには、この「バカの壁」を意識化することが欠かせないのである。

第3回に続く)