江戸のグルメブームに歯止めをかけた腹八分精神イラスト/びごーじょうじ
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 貝原益軒は江戸時代中期の儒学者。その学問領域と残した著作の幅は広く、幕末に来日したシーボルトは「日本のアリストテレス」と賞賛した。83歳の時に書き残した健康指南書の『養生訓』は現在でも読み継がれている名著だ。

 1630年に筑前・福岡に生まれた益軒は虚弱な子どもだった。外で遊べない幼少期が書物と向き合う時間をつくり、父から医学や薬物、食物の性質などを学んだことが晩年、世に送り出す『養生訓』のベースになった。

 益軒は日常の中で食を重視していた。それは『養生訓』全8巻のうち2巻を飲食に充てていたことからもよくわかる。具体的には「薄味」「脂っこいものは避ける」「なま物、冷たい物、かたいものも禁物」「汁物は一種類、肉も一品に、おかずも一つか二つくらいにとどめる」といったものだ。他に「腹八分を心がけること」など驚くべきことに現代の栄養指導とほぼ同じである。益軒の食生活は野菜中心だったようで、そのあたりにも江戸時代に85歳まで生きた理由があった。

 ちなみに『老いてますます楽し 貝原益軒の極意』という本の著者、山崎光夫氏はこの腹八分精神は益軒の『養生訓』がベストセラーになったことで庶民の間にも定着したものだ、と推察していている。当時、武士の食習慣が変わり、1日3食になったことが影響しているという。この時期さらに1日4食を習慣とする武士たちも現れ、また元禄時代は今でいうグルメブームだったこともあり、益軒はそうした流れに歯止めをかける意味で腹八分を提唱したという。