塀の中の懲役たちも虜にする「フーテンの寅」

 『男はつらいよ』は必ず一人で観た。たいてい泣かされるからである。

 この映画のファンには本当にさまざまな人がいる。獄中20年の元赤軍派議長、塩見孝也は塀の中で「寅さん」を観て、以来、のめりこんだ。“籠の鳥”の不自由さが、よけいにフーテンの寅への想いをかきたてたのだろうか。

 塩見によれば、獄中では「寅さん」シリーズが大人気だったという。

「寅はまた振られたか。あの時ヤレばよかったのに」とか、「今度はマドンナは誰だ」と懲役たちはわがことのようにかまびすしかった。

 塩見は『「リハビリ」終了宣言』(紫翠会出版)の中で、これはと思う人には「寅」論を吹っかけることにしていると告白しているが、大の寅ファンだったので我が意を得たと書いている金日成にも吹っかけたのか?

「寅はあらゆる懲役達にとって人気者であり、彼らがどれほど潤いを与えられ、慰められ、そのお笑いで憂さを晴らしたかは特筆大書すべきである」と強調する塩見は、獄中で、「寅」の正体は救済者で、マドンナは苦悶する民衆の美的典型であり、これは変革の映画だ、などと講釈したらしい。

「笑いとはアンバランスにあり」と主張し、しがない流れ者で三枚目の寅が外見とは反対にピュアな心を持ち、だいそれたことに、マドンナ=民衆に惚れ、これを救済し、その代償に失恋するところに笑いの本質とその質の高さがある、などと説いていたというのだが、聞いている懲役たちは眼をシロクロさせていたに違いない。

 こんな「だいそれた」寅論を正面から吹きかけられたら寅は恥ずかしそうに首を振って、「それほどのもんじゃありませんや」と立ち去って行くだろう。

 塩見が、山田洋次監督を領袖にあおいで、「寅さん党」をつくれば世直しができるのではと夢想したりしていることを知れば、山田も苦笑して離れていくのではないか。

 この塩見と私は同じ清瀬市に住んでいたことがある。共に自転車でスレ違ったりした。

 すると塩見は大声で、「サタカさん、カクメイの話をしよう」と呼びかけるのである。道行く人も振り返るし、これには閉口した。

 度を越えた真面目さは喜劇になる。多分、塩見の時計は学生時代で止まっているのだろう。