反骨の報道写真家・
福島菊次郎の生涯

史上最低の「アベ政治」と<br />「SEALDs」という名の希望の光<br />――木内みどり×広瀬隆対談【後篇】

木内反骨の報道写真家・福島菊次郎さんが入院されていたことは知っていましたが、具合が悪いと聞いて、SEALDsのことを伝えなくてはと思いました。
 菊次郎さんは、被爆者、自衛隊、公害、祝島の原発反対運動、震災後の福島などを取材し、問題点を訴え、国にずっと逆らって生きてきた人です。

その反骨ぶりたるや、ものスゴイ。
 軍需工場に潜入して写真を撮ったときも、「写真家は法律を破ってもいい。本当のことを国民に見せるのが仕事だから」と言うくらい「気骨のある人」です。
 でも、60歳のときに、日本というこの国に絶望して以来、瀬戸内海の無人島でひとり暮らしをしていたのですが、ガンになって……。それからは故郷の山口県柳井市に戻り、ひとり暮らしを続けていました。
 90歳をすぎた頃、『ニッポンの嘘 報道写真家 福島菊次郎90歳』というドキュメンタリー映画ができて、それが評判になり、いろんな映画祭の賞も受賞しました。90歳をすぎて「時の人」になったのです。
 東京での上映会、大規模な写真展、そして講演会はいつも満席でした。
 94歳をすぎて体力も落ちてしまったある日、病院に入院しました。
 私も、そのことは知っていましたが、具合があまりよくないと聞いたある日、映画のプロデューサー・橋本佳子さんと二人でお見舞いに行きました。
ベッドの上の菊次郎さんは体重が29キロまで減ってしまっていて、ベッドから起き上がることすらできませんでした。
「遠いのに、よくきてくれたね」と幾度もそうおっしゃって、繋いだ手を離そうとされませんでしたから、ずっと、手を繋いでいました。
 私は、iPadで国会前の様子の動画や写真をたくさん見てもらい、こう報告しました。