橘玲の世界投資見聞録 2015年11月5日

移民の「統合」に失敗したドイツが、
それでも移民を受け入れる特殊な事情
[橘玲の世界投資見聞録]

 ハンガリーのブダペスト駅で立ち往生しているシリアなどからの難民をドイツのメルケル首相が「上限なく受け入れる」と英断して、9月5日から6日にかけてミュンヘンに2万人が到着した。中央駅には難民の氏名などを登録するバイエルン州政府の大きなテントが設置され、その周囲には数百人の市民が集まり、長旅に疲れきった難民たちを拍手で迎えたという(報道によれば、9月になってからの2週間でミュンヘンに6万3000人の難民が押し寄せた)。

 私がミュンヘンを訪れたのはその1カ月後の10月はじめで、テントはすべて撤去され、難民の姿はどこにもなく、町は“ビールの祭典”オクトーバーフェスト一色だった。

ミュンヘン市庁舎。難民の影はどこにも感じられない   (Photo:©Alt Invest Com)

 

人口8000万人で数十万人の難民受け入れるドイツ

 難民の大量流入の原因をつくったと批判されたメルケル首相は、「緊急事態に難民に優しくしたことを謝罪すべきだというなら、それは私の国ではない」と反論した。このようにドイツの「リベラル」ぶりは突出しており、その背景にナチス時代の暗い過去があることはしばしば言及される。それにしても人口8000万人の国で数十万人の難民の受け入れを覚悟するのは相当なことだ。日本との単純な比較は無意味だとしても、そこにはやはり見習うべきところがあるだろう。

 だがその一方で、ヨーロッパにおいて移民が社会の軋轢を生んでいることも間違いない。「反移民」を唱えるのはハンガリーのような東欧の「極右」政権だけではない。

 世界でもっともリベラルな社会を実現したスウェーデンでは、2010年と14年の総選挙で「税金を納めない移民のただ乗りを認めるな」と主張する“極右”の民主党が第三党に躍進して衝撃を与えた。大麻も安楽死も合法で、「自由と自己決定権」を重視する世界でもっとも進歩的な国オランダでも、「イスラーム諸国からの移民受け入れ停止」を掲げる自由党が第三党となり、閣外協力ではあるものの政権の一翼を担っていた。国連の調査で「世界で一番幸せな国」(2014年)に輝いたデンマークでは、「ムスリムはヨーロッパ人の民族浄化を企んでいる」として非白人移民の国外追放を求める過激な国民党が政権の中枢に入り、いまでは「難民にとって魅力のない国」をアピールしている。

 こうした国々がムスリム移民を警戒するのは、2005年にロンドンで地下鉄などの同時爆破事件が起きたイギリスや、記憶に新しいシャルリー・エブド襲撃事件のフランスの例があるからだろうが、2001年の米同時多発テロの実行犯のうち2人がハンブルク工科大学に在学していたように、ドイツもテロの脅威から無縁とはいえない。

 ドイツの一般市民は、移民(外国人)についてどう思っているのだろうか。

 日本ではあまり知られていないものの、この問題の象徴が2010年に出版された『ドイツは自然消滅する(Deutschland schafft sich ab)』というベストセラーだ。著者のティロ・ザラティンはベルリン州政府の金融担当大臣を経てドイツ連邦銀行理事会のメンバーを務めた生粋のエリートだが、その主張は過激だった。

 ザラティンはさまざまな統計(なかには疑わしいと批判されたものある)を根拠に、ムスリムの移民(主にトルコ系)はドイツ人やヨーロッパ諸国からの移民に比べて犯罪率が高く、生活保護に依存し、なおかつ出生率が高いと述べた。そのうえで、現在の移民政策をつづければ孫やひ孫の世代ではムスリムがドイツの主要民族となり、トルコ語やアラビア語が日常的に話され、女性はヒジャブ(ベール)をかぶり、ケルンの大聖堂はモスクに改築され、ひとびとは教会の鐘ではなくアザーン(イスラームにおける礼拝の呼びかけ)で時を知るようになるだろうと警告したのだ。

ケルンの大聖堂。モスクになるのか?                         (Photo:©Alt Invest Com)

 

 ザラティンは、イギリスにおけるインド、パキスタン、バングラデシュからの移民の教育達成度などのデータを示して、(同じインド大陸出身でも)ヒンドゥー教のインド系移民の子弟は、パキスタンやバングラデシュからのムスリムの移民の子弟よりも成績がいいと述べる。これはヨーロッパにおける“右派知識人”の典型的な論理で「自由や人権、民主政といった近代西欧社会の価値観とイスラームの価値観は共存できない」との主張は人種差別ではなく、“遅れた宗教”に対する啓蒙思想からの正当な批判なのだ。この論理によれば、ヨーロッパ社会に「同化」した移民は平等な人権(市民権)を保証されるが、そのためには、ムスリムは神を捨てなければならない。

 ザラティンの本は発売直後からベストセラーになり、1年間で130万部を売り上げた。これはドイツでは、「第二次世界大戦後にもっとも多くの読者を獲得した本のひとつ」だそうだ。日本で似たケースを探すとすれば、200万部を超えるベストセラーとなった藤原正彦氏の『国家の品格』だろうか。

 ザラティンの主張は奇抜なものではなく、(『国家の品格』と同様に)ひとびとが漠然と感じていたことに“知的権威”を与えた。それがドイツで大きな社会現象となった理由だろう(”From financier to flag-bearer for Germany's far-right” Independent2011/10/23)。

フランス型の「同化」、イギリス型の「多文化社会」、ドイツが目指す「統合」

 ドイツにおける移民の状況について述べる前に、ヨーロッパでよく使われる「同化」「多文化社会」「統合」の移民政策について説明しておこう。

 「同化」は“近代発祥の地”フランスが典型で、「世界でもっとも美しい」フランス語を話し、自由・平等・友愛のフランス革命の理念を体得した者は、人種や出身地、宗教にかかわらずすべて「フランス人」の資格が与えられる。彼らの考えでは、「フランス」というのはヨーロッパの一角にある国民国家ではなく、グローバルで普遍的な理念そのものなのだ。

 そのためフランスの国籍法は、日本と同じく血統主義を基本にしているものの、二重国籍を認め、一定の条件を満たせばフランスで出生したり、居住しているだけの者にも積極的に国籍(市民権)を付与している。日本人の感覚ではちょっと理解できないが、世界じゅうが「フランス人」になることが、「フランスという(近代の)理念」の完成形なのだ。

 その結果、移民にも「完全なフランス人」になることが求められる。公立学校にヒジャブを着用して登校することが大きな社会問題になるのは、フランスの重要な理念のひとつであるライシテ(政教分離)に抵触するからだ。正しい近代人たる「フランス人」は、宗教はあくまでも私的な領域にとどめ、公的な場に持ち込んではならないのだ。

 それに対して「多文化主社会」はイギリス型で、移民政策というよりも移民の自由放任主義のことだ。

 「7つの海を支配する」といわれた大英帝国は世界じゅうに植民地を持っており、第二次世界大戦でその大半を失ったものの、植民地主義(帝国主義)に対する旧宗主国の道義的責任は残った。そのためイギリスは、インドや中近東、アフリカ、カリブ諸島、香港・シンガポールなどのかつての「帝国領」からの移民をほぼ無条件で受け入れた。これは日本における在日韓国・朝鮮人問題と同じ構図で、昨日までは「帝国の臣民」として徴兵や納税などの義務を課していたのに、今日からは別の国だといって外国人扱いすることはできないのだ。

 こうしてロンドンなどの大都市には多様な移民が集まってきたが、戦後の混乱期に彼らを管理・統制する統一的な行政機構をつくれるわけもなく、チャイナタウンやインド人街のような移民の共同体が生まれるに任せた。「多文化社会」はこうした状況を前提に、移民たちの文化的・宗教的アイデンティティを保護しつつ、異なる文化が共生できる社会をつくるべきだという考え方だ。

 こうしてイギリスでは、ムスリムの子女のヒジャブ着用が禁止されることはなく、イスラーム教育を行なう自分たちの学校を持つことも認められた。移民は、母国と同じ環境で暮らすことができるのだ。

 移民政策においては、一時はフランス型とイギリス型のいずれが優れているか議論されたこともあったが、最近の社会問題の噴出で明らかなったように、「同化」も「多文化社会」もうまくいかなかった。そこで出てきたのが「統合」の理念で、移民(マイノリティ)は文化的なアイデンティティを保ったまま、多数派社会の一員としての経済的・社会的・政治的生活を営めるようにすべきだという。要するに「同化」と「多文化社会」のいいとこ取りで、ドイツではこの「統合」が移民政策の根幹とされている。

「もっともドイツらしい街」ローデンブルク                     (Photo:©Alt Invest Com)

 


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橘 玲(Tachibana Akira) 作家。1959年生まれ。早稲田大学卒業。「海外投資を楽しむ会」創設メンバーのひとり。著書に『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』『(日本人)』(幻冬舎)、『臆病者のための株入門』『亜玖夢博士の経済入門』(文藝春秋)、『黄金の扉を開ける賢者の海外投資術』(ダイヤモンド社)など。
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