村上春樹と三島由紀夫はどこが違うのか

だからそのためには「発想率」を上げることが必要になる、というわけですね。
じゃあ、どうすれば発想率って上がるんでしょうか? どう思いますか?

(会場)アウトプットしておく、とか?

そうですね、そのとおり。これが大事なんです。
だから、アウトプット、つまり「書いてないこと」って「考えてないこと」なんです。ほんとそうなんです。
凡人が「自分は考えていた」と語る資格があるのは「書いていた」瞬間くらいです。

僕たちは書かないと考えられない。ここは本当に重要なんで、本の中でも何回も言っています。

逆に言うと、書かなくても何かを考えられる人っていうのは、かなり特殊な頭の持ち主だっていうこと。そんな人、めったにいません。

たとえば、三島由紀夫。またまた登場ですけど、彼は文学的天才だっただけじゃなく、普通に頭がよかったんですよね。つまり、お勉強ができたってことです。
東大法学部を首席で卒業して大蔵省に入っているくらいだから、偏差値でもトップレベルの人だったわけです。

彼の原稿って、他の作家とは全然違うんですよ。どう違うかってわかる? 当時ですから原稿用紙に万年筆で書くわけですが、三島由紀夫の原稿にはほとんど書き直しがないんです。

なんで書き直しがないのか? 彼は豪語していました、「自分は最後の1行が決まるまでペンを執らない」と。つまり、原稿用紙で何百枚分もの文章を全部頭の中で構成できたということです。

こんな人は普通はいませんよ。村上春樹さんですらも1日3時間か4時間しか書かないそうです。それくらい「書く=考える」ってことはつながっているし、やはりしんどいことなんです。

逆に言うと、村上さんはその3~4時間の集中力を維持するために他の生活を組み立てている。ですからご存知のとおり、村上春樹さんは非常にストイックですよね。

僕も一度食事をご一緒したことがあるんですが、村上さんはつねに身体を鍛えています。「どうしてですか?」と聞くと、「考えるためです」とおっしゃっていました。考えるのって本当に体力を使うんですよ。