橘玲の世界投資見聞録 2015年12月30日

先進国で強まる課税逃れ防止策の強化とタックスヘイヴン
[橘玲の世界投資見聞録]

 2015年7月に出国税の適用が始まり、国外財産調書の申告漏れや虚偽記載にも罰則が科せられるようになった。こうした規制強化は日本だけのことではなく、アメリカやヨーロッパなどOECDに加盟する先進国はどこも国境を越える課税逃れの防止にやっきになっている。その標的がタックスヘイヴン(租税回避地)であることはいうまでもない。

 フランスの若手経済学者ガブリエル・ズックマンの『失われた国家の富 タックス・ヘイブンの経済学』(NTT出版)は、世界規模の“税戦争”でなにが起きているのかを知る貴重な資料だ。

 ちなみにズックマンの大学院時代の指導教官はトマ・ピケティで、『21世紀の資本』(みすず書房)にも協力している。ピケティと同じく政治的立場はリベラル左派でタックスヘイヴンに対してはきわめて批判的だが、だからこそ随所に興味深い知見が登場する。

プライベートバンクは「ユダヤ人の資産をナチスから守るため」は間違い!?

 ズックマンはまず、タックスヘイヴンの象徴としてスイスを取り上げる。

 スイスの名高いプライベートバンク神話のひとつは、銀行秘密法はナチスの魔の手からユダヤ人の資産を守るために1935年に制定された、というものだ。だがズックマンは、これはまったく史実とは異なるという。

 スイスの金融機関に国外から資金が流れ込んできたのは1920年代(14%増)で、それに比べて1930年代は1%増でしかない。その理由は明らかで、フランスで1921年と1925年に富裕層に対する課税が強化されたからだ。当時は株式や債券は無記名で、名義人の台帳もなく、資産は無条件に保有者のものとされた。資本市場に投資する富裕層は、自宅の金庫のほかに銀行の貸金庫にも証券を預けたが、ほどなくして海外(スイス)の金融機関を利用すればフランスに税金を納める必要がないことに気がついた。

 1935年の銀行秘密法は、こうした海外の富裕層に便宜をはかるために制定された。最初に資金の流入があり、それを守るために法律をつくったのであって、迫害されているユダヤ人の資産を保護するために先回りして法を準備したわけではないのだ。第二次世界大戦後、ホロコーストが人類の悲劇として語られるようになると、スイス金融界は自分たちの暗い過去を隠蔽するために偽りの歴史をでっちあげたのだ。

 終戦直後の混乱期を乗り越えると、1950年代からスイス金融界は黄金時代を迎えた。1973年のオイルショックで原油価格が急騰し、ペルシア湾岸の王族たちが大金持ちになると、その資金はこぞってスイスに流れ込んだ。アラブの顧客たちが求めたのは課税逃れではなく(国の支配層である彼らは税金を気にする必要はなかった)匿名性だった。実名で資金をアメリカ市場などに投資すると、口座を凍結されるのではないかと恐れたのだ。このときも、スイスの「鉄壁の守秘性」が顧客獲得に大きな威力を発揮した。

 1980年代になると、金融自由化によって香港、シンガポール、ジャージー、ルクセンブルク、バハマなど世界各地に新たな資産運用の拠点が誕生した。このグローバルな競争によって一見、スイス金融界の成長は鈍化したように見えるが、これは上辺のことにすぎないとズックマンはいう。香港やシンガポール、カリブ海諸国につくられた銀行の多くはスイスの金融機関の子会社だからだ。このグローバル化によって、スイスに対するアメリカやEUからの風当たりが強くなっても、預かり資産をアジアなどのより隠しやすい国に容易に移転できるようになった。

 現在(2013年)でもスイスは1兆8000億ユーロの外国人資産を保有しており、「銀行の秘密業務の時代は終わった」と宣言された2009年のG20以降、14%も増加している。その理由は、フランスやドイツの課税強化によって「小口(預かり資産数億円の口座)」の顧客が減っても、それを上回る大口の資金が流入してきたからだ。彼ら超富裕層は法人や信託、ペーパーカンパニーを自在に使いこなせるから、国際課税のルール変更など関係ないのだ。

チューリッヒの金融街                                              (Photo:©Alt Invest Com)

 

タックスヘイヴンには約750兆円の金融資産が保有されている

 ズックマンのいちばんの成果は、タックスヘイヴンに保有されている金融資産(すなわち「失われた国富」)を概算したことだ。

 こうした計算は、それぞれのタックスヘイヴン国の海外からの投資額を合計すればかんたんなように思えるが、この方法はうまくいかない。なぜなら、タックスヘイヴン国はそのような「国家機密」を公開しようとは思わないから。

 そこでズックマンは、コロンブスのタマゴのような方法を考えついた。

 フランス人のA氏が、スイスの口座で米国市場(たとえばグーグル)の株式を保有しているとしよう。これをアメリカ側から見ると、外国人が自国の資産を保有しているのだから、対外負債として計上される。

 それに対してスイスでは、自国の銀行にグーグルの株式が預けられていることは認識するものの、それを対外資産とは見なさない。なぜならそれはスイスのものではなく、フランス人投資家A氏の財産だからだ。

 ところがフランスでも、この資産が計上されることはない。グーグル株はタックスへイヴンであるスイスに預けられていて、税務当局やフランス中央銀行には知る術はないのだから。

 こうしてズックマンは、タックスヘイヴンが存在することで各国の対外負債勘定と対外資産勘定に齟齬が生じることに気がついた。それをたんねんに追っていけば、すかし絵のように空白の部分が浮かび上がってくるのだ。

 こうした根気のいる作業の末にズックマンは、タックスヘイヴンには総額5兆8000億ユーロ(約750兆円)の金融資産が保有されていると推計した。そのうち3分の1の1兆8000億ユーロ(約240兆円)はスイス、残りの3分の2(3兆8000億ユーロ=約500兆円)はシンガポール、香港、バハマ、ケイマン諸島、ルクセンブルク、ジャージーなど他のタックスヘイヴンが保有している。これを見ても、タックスヘイヴンにおけるスイスの存在感は圧倒的だ。

 ちなみに、2013年末時点の世界の家計資産の合計額はおよそ73兆ユーロ(約9500兆円)だから、タックスヘイヴンはその8%を保有していることになる。

 このズックマンの推計は、タックスヘイヴンをめぐる議論に混乱を引き起こすことになった。これまでタックスヘイヴンの“闇の資金”は、税の正義を求める「タックス・ジャスティス・ネットワーク」が推計した21兆ドル(約2500兆円)から32兆ドル(約4000兆円)とされており、これに基づいて「世界の富の3分の1(ないしは5分の1)はタックスヘイヴンに隠されている」というのが常套句になっていたからだ。ところがズックマンが正しいとすると、タックスヘイヴンの“脅威”ははるかに小さくなってしまう。

 ズックマンによれば、従来の推計は国際的な銀行預金の総量を基準にしているが、そこにはビジネスでタックスヘイヴンを使う合法企業の預金も含まれているから、それらをすべて租税回避の資金と見なすのは明らかに過大評価なのだ。

 だが「最小」の推計値でも、タックスヘイヴンの資産に課税する効果は大きい。たとえばフランスでは、2013年度に約170億ユーロ(約2兆2000億円)の税収が不足したが、これはフランス人がタックスヘイヴンに保有する3600億ユーロ(約47兆円)に課税すれば全額埋め合わせることができるのだ。


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橘 玲(Tachibana Akira) 作家。1959年生まれ。早稲田大学卒業。「海外投資を楽しむ会」創設メンバーのひとり。著書に『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』『(日本人)』(幻冬舎)、『臆病者のための株入門』『亜玖夢博士の経済入門』(文藝春秋)、『黄金の扉を開ける賢者の海外投資術』(ダイヤモンド社)など。
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