助けてくれた人々へのお礼

 近年、外国でも慈善活動をするようになった。国内だけでも助けを必要としているところがたくさんあるのに、なぜ外国に行くんだ、と言う人もいる。これには、自分の人生観が関わっている。昔、外国に行ったときは、どこでも、助けてくれる人がたくさんいた。タイでも、日本でも、アメリカでも。慈善には、国境というものがないと思うし、助けてくれた人に対する礼の代わりに、その国で困っている人々を助けるのは、当たり前のことだ。

 じつは、外交としてやっている側面もある。たとえば、君たちが困っているときに、外国人が助けに来たとする。それで、君たちはどういうふうに感じるか? だから、インドネシアで津波があったときも、日本で震災があったときも、現地に行っている。国内でも、四川大地震のときは現地に行った。国レベルで政治外交がどうなっているのかと、市民の外交がどうなのかは別の話だ。

 いまでも、ベトナム、カンボジア、ラオス、日本、韓国、ドイツ、ロシアなど、世界各地の人々が、「龍子心」(ジャッキー自身が立ち上げたチャリティ・プロジェクト)のプログラムに募金をしてくれている。そのお陰で、たくさんの大陸の子どもたちが、助かっている。 

慈善活動に対する<br />ジャッキーの熱い思い「慈善活動をするのはいつでも楽しい」

何かを始めれば
世界は変わる

 インドネシアの隣には東ティモールという国がある。ある年、平和大使になってほしい、と招かれた。当時、東ティモールは内戦の最中だった。おれが行ったらどうにかなるの? と聞いたら、相手は、どうにかなるかは分からないが、あなたが来てくれなければ、よくなる可能性もない、と言う。それで、引き受けた。

 半年後、向こうの大統領から手紙が送られてきて、もう内戦は終わったという。これが自分のお陰だとはとても言えないが、自分なりに尽力したのは事実だ。

 いま北京にいる友だちにも、慈善活動をやるときに、“お布施”を頼んでいる。僕が何かに寄付する場合は、連中も同じところに寄付をしてくれる。