ジャッキー映画が
世界中で人気を得るわけ

 映画の中で、動きと表情は、世界のどこでも通用する言語だ。なぜ、“成龍映画”が世界中で人気なのか? 観る側に、ボディランゲージで、話しかけているからだ。台詞を聞く必要もない。からだと、動きとを見れば、何が起きているのかが分かる。テーブルを乗り越えると、茶がこぼれ、コップに手を添えると、火傷をしたような動きと表情をする。観客からすれば、一目瞭然だし、ユーモラスだ。

 アクション映画を何年か撮ったあとに、

〈アクションはあるが残忍ではない、笑いはあるが下品ではない〉

手抜きゼロの映画づくりと<br />アクションへの徹底したこだわり【驚きのアクションシーン(2)】『ライジング・ドラゴン』より。シャンティイ城から飛び降りようとしているところ

 これをモットーにすることにした。低俗なものはいらない。映画を撮りだした頃、興行成績はよかったが、一度、友だちに、ジャッキー、君の映画はいいが、自分の子どもには観せられない。暴力的なシーンがあるし、子どもに見せたくない冗談もある、と言われた。その言葉に衝撃を受け、以降、映画を撮るときは、息子のジェイシーに観せられるか? と自問するようになった。自分の子どもが観ていいのなら、よその子も観ていいはずだ。それなら、世界中の子どもたちが、みんな観ていいはずだ。

 何年も後になって、『ドランクモンキー 酔拳』を観直すと、これはよくない。酔っぱらってけんかすることを教えてどうする? と思った。だから、『酔拳2』を撮るときは、酒を飲むな、けんかをするな、と教えるようになった。自分の間違いを正すと、嬉しくなる。昔、映画を撮るのは金のためだったが、いまは、好きでやっているだけだ。いい脚本があったら撮るし、なかったら撮らない。脚本が面白かったら、ギャラが少なくても問題ない。

 いまのカンフー映画は、ワイヤかなんかで飛び回っているものばかりだ。こういう映画がいけないというわけではないが、自分だったら絶対に撮らないし、撮れない。“成龍映画”のどこが違うのか。それは、何でも、本当にやることだ。昔からそうだ。全世界の、“成龍映画”のファンはみんな知っている。