>>(上)より続く

「企業では、総額人件費の管理をより一層、厳密にせざるを得なくなります。役員など幹部の数は間違いなく減ります。幹部がごく少数になる以上、そのセレクトの仕方も考え直さないといけない。東大卒や京大卒という学歴よりも、たとえば、もっと実践的なことを学ぶMBAの取得などが1つの保障になり得る時代になると思います。少なくとも、『どこの大学を卒業したか』ということよりは、はるかに意味を持つようになるはずです」

 筆者は、ある社会学者の見解について林氏に問うてみた。その学者は、「東大出身者は受験勉強を通じ、潜在的な能力、たとえば耐える心や競争心などを強く身に付けている」と語っていた。それは本当だろうか。林氏はこう指摘する。

「その潜在的な能力や競争心は根拠が希薄であり、証明するデータがないのではないでしょうか。そのような見方に必要以上に影響を受けていることこそ、『学歴病』です。人材の評価には、もっと説得力のあるものが本来は必要なのです。そうでないと、人は育たないし、強い企業をつくることができないのです」

大卒社員を十把ひとからげにした体制を
頑なに守ろうとする経営陣の思惑

 B氏の事例をもとに、こんな指摘もする。

「B氏が勤める会社の場合、大卒の多くが営業をしています。そもそも、この会社の営業の仕事に大卒が必要であるかどうかを、本来は考えるべきです。高卒でも専門卒でも、十分にでき得るかもしれません。人件費の厳密な管理には、必要な視点です。あるいは、東大、京大卒の新人を超総合職として雇い、ハイリスク・ハイリターンの報酬スタイルに変えることも検討すべきです。大卒をいくつかのグループに分けたほうが、経済合理性があるのです。はるか前の大卒と今の大卒の意味は、大きく異なっているのですから……。

 ところが、大企業の経営者らに私がそうしたことを提案しても、なかなか受け入れられません。彼らは、大卒社員を十把ひとからげにした、現在の体制をあくまで守ろうとします。たとえば、こんな具合に話されます。『お話は理解できるのですが、私が社長をしている間は、そんなことはできません。役員や管理職を大幅に減らすこともしません』と」

 林氏が強調したのが、次の内容だった。

「サラリーマン経営者である彼らが、そんな過酷なことをしたら、ムラ社会では生きていけなくなります。長期安定雇用の中、でき上がった同質性の文化を壊すことは、彼らには決してできない。どのみち、数年で退任するわけですから……。10~20年後のことを考えるサラリーマン経営者は、少ないはずです。上場企業である以上、彼らは短期の業績責任しかない。業績が下がれば、頭を下げて辞任するだけです。