大正時代から現代まで、その時代の経済事象をつぶさに追ってきた『週刊ダイヤモンド』。創刊約100年となるバックナンバーでは、日本経済の現代史が語られているといってもいい。本コラムでは、100年間の『週刊ダイヤモンド』を紐解きながら歴史を逆引きするのがテーマだ。今回は日本のバブルとともに滅んでいった住宅金融専門会社の崩壊過程を逆引きする。(坪井賢一)

日本のバブル崩壊を参考にした
FRBのリーマン・ショック対策

 日本のバブル崩壊は、1990年の株価暴落、1991年の地価下落に始まり、1997年11月の北海道拓殖銀行と山一証券の破綻で頂点に達した。今から13年前のことである。

 さらにその2年前の1995年、5年間に及ぶ地価下落で担保不動産の価値が崩落した住宅金融専門会社(住専)の経営が立ち行かなくなり、膨大な不良債権の処理方法をめぐって政府も官僚も金融界も大混乱に陥っていた。

 リーマン・ショック(2008年9月)で米国の財務省やFRB(連邦準備制度理事会)がバタバタと公的資金を投入して住宅金融会社を政府の管理下においたのは、日本の住専問題を研究していたからである。FRBのバーナンキ議長は大恐慌研究の専門家であり、日本のバブル崩壊の研究、提言でも知られている。

 米国の住宅ローンは、モーゲージバンク(住専と同じような金融機関)が貸し出し、そのローン債権を政府系の連邦住宅抵当公庫(ファニーメイ)や連邦住宅抵当金融公庫(フレディマック)などが引き受けて証券化して流通させる、という仕組みで運営されていた。サブプライム・ローン債権の証券化で巨額の不良債権を抱え込んだ両社は、現在、政府の管理下におかれている。

大蔵省と農水省が激しく対立
いったん先送りした住専の不良債権問題

 日本の住専の不良債権が顕在化したのは、地価下落が始まった時期から3年後の1993年のことだった。

 住専を設立した銀行(母体行という)が責任をとって不良債権を処理するのか、住専への最大の貸し手である農林中央金庫などの農林系統金融機関が損をかぶるのか、両者の監督官庁として財務省(当時は大蔵省)と農水省が激しく対立し、けっきょく母体行が住専再建計画を立案することで問題を先送りしたのが1993年だった。いずれ地価が上がれば不良債権は減少する、という楽観的な気分があったのだろう。

 そして1995年夏、景気は持ち直して成長率は上昇に転じていた。ところが2年間でさらに地価は下落し、住専の債務は膨張を続けてしまった。